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屋上

​Author: Saito Rei

遺書

 

 死にたい。

 もう振り向いてもらえない。

 九月一日、始業式の日。午後三時に学校の屋上から飛び降りようと思う。

 俺の女を盗ったあいつが悪い。

 

 

 俺は死ぬ。

 

                       *

 

 僕は今日もまた図書館に行きます。なぜかって言われれば、もちろん本を借りるためです。図書館と言っても学校にあるものなので、そこまで多くの書籍を取り扱っているわけではありません。ですが、僕が読みたいと思った本が、偶然なのかは分かりませんが街の図書館にはなく、ここにあったのです。なんてラッキーなんでしょうか。僕はとてもついている少年だと思います。目当ては『心理学大全』という分厚い本。著者の名前は忘れてしまいましたが、確か外国人で心理学の専門医だということをつい最近インターネットで知りました。誰も借りないような、図書館の隅で埃を被って眠っている、まあ、いわば化石のような本ではありますが。

 さあそれはさておき、僕のことについて少し紹介しておきましょう。父は外科医で、母は内科医です。優秀な遺伝子を受け継いで生まれてきたのですから僕の頭がいいのは当たり前で、テストの成績はいつも百点ばかり。通知表の方は十段階評価で、もう分かると思いますが、当然のように十ばかりが並んでいます。しかし、いつも勉強ばかりしているわけではありません。本を読む時間の方が長いくらいです。少しでも暇があれば本を開き、活字を目で追っていく毎日で、そんな僕のことを『本の虫』だとか『根暗な奴』なんて卑下してくる人もいますが、僕は気にもとめません。そんな奴らは放っておけばよろしいのですから。さあ、そうこう言っているうちに目的地に到着です。

 図書館に入りました。なんて効き過ぎた冷房でしょうか。いくら夏といっても僕は北極観測隊ではありませんので、これでは風邪をひいてしまいます。昔から寒がりなところがある僕は思わず肩をすくめます。ちょっと、そこの先生。冷房の温度を少し上げていただけますか。僕、寒がりなので。先生は引きつった笑みを見せて奥へ引っ込んでいきました。それにしても奇妙な笑みでした。あれこそ作り笑いという言葉がぴったりだと思います。

 勉強している生徒達をちら見しながら図書館の奥へと向かいます。僕は視力がよすぎるせいか、こんな時、見たくないものまで見えてしまうのです。ああ、何て汚い字。それはアラビア語ですか? それとも象形文字ですか? あの人は数式が間違いだらけ。一体授業で何を聞いているのでしょうか。あの人はノートに書いたことを一生懸命消しゴムで消しています。でもノートが黒くなって余計に見づらそうです。あの慌てふためいた顔。なんて滑稽なことでしょうか。ああ、この子もおバカさんの一味のようです。英単語のスペルミスが滅茶苦茶ひどい。中学校で一体何を学んできたのでしょう。まあ、いずれにしても僕には関係のないことなので、気にする必要は全然ありませんね。

 そうこうしているうちに、図書館の一番奥に辿り着きました。やっぱり僕の思った通りです。目当ての本は誰にも借りられることなく、まるでアフロヘア―のような埃を頭にのっけています。さあ、早速借りるとしましょう。僕は本を引きずり出して埃を指先でつまみ、窓の外へ捨てました。誰かの頭に、落としたばかりの埃がついたところを想像してみます。今、謎のフワフワした物体が見知らぬ人の頭に着地しました。実はそれは宇宙人が乗った宇宙船だったのです……。妄想が膨らみ過ぎそうなので、この辺でやめておきましょう。

 本をカウンターに持っていく前に、表紙をめくってみました。そこでふと考えます。この次は何の本を読む予定だったか……と。僕は読みたいと思った本を紙に箇条書きにして書いておく習慣をつけています。そうすればいちいち面白そうな本を探す手間も省けますし、何より読みたいと思った本の題名を忘れることもないのですから。といってもこの僕が一度覚えたことを忘れるなんて滅多に起こりえませんが、念には念をということです。とはいっても先ほども述べた通り『心理学大全』の著者名を忘れてしまったので、やはりそれは僕が人間であるという証明に繋がるのでしょうね。少し話の内容がずれたので、修正したいと思います。読みたい本のリストについてでしたね。読み終わった本には斜線をつけておき、もう今は斜線の数が数えきれないほどになってしまいました。なんて僕は読書家なんでしょう。自分で自分に酔ってしまいそうです。リストはいつでも見られるように、学校からもらったプリント類を挟むファイルに入れてあります。たまにそれを取りだして、自分はこんなにもたくさんの本を読んだのだ、と自分を褒めてあげるのです。そうすることで、ドーパミンが溢れんばかりに分泌され、僕は快感に酔いしれることができますし、これからももっと本を読もう、という意欲を掻き立てることにも繋がるので、僕は放課などにはしょっちゅう本のリストを見ています。

 パラパラとページをめくっていきますと、一枚の紙が挟まれているのを見つけました。手にとって読もうとしましたが、何て汚い字なのでしょう。先ほどのアラビア文字、いえ、象形文字以上に悪筆極まりないと言ったところでしょうか。これを書いた人の知能はサル以下といっても過言ではないと思います。僕ならこんな汚い字は書きませんし、もし書けと命令されたとしても、真似をするにも難しいと思われます。それでも何となく興味が湧きましたので、僕は何とか解読を試みました。……これは、遺書ですね。どこかの人生の敗北者、いえ、負け犬が遠吠えをしているようです。なるほど、この負け犬は自分の負けメス犬が他の男に盗られたから死にたいようです。なんという浅はかな考えでしょう。これぐらいのことで死んでしまうから、いつまで経っても若者の死亡原因の一位が自殺のまま変わらないのです。ですからこういう人は逆にしっかりと生きてもらわないといけません。

 話が少し逸れますが、僕はこれまでの人生の中で、叱られた経験がほとんどありません。当たり前です。成績優秀の天才児。それが僕なのですから。ルックスもよくて、スポーツもできる。こんな完璧な人間は世界に僕一人だけなのです。ですが、もっともっと褒めてもらいたいのです。もっともっと認めてもらいたいのです。お年寄りが困っていたら助けてあげます。勉強が分からない子がいたら教えてあげます。皆が嫌がる係があれば、それを進んで引き受けます……。こんなことを言って、さっき勉強をしている生徒の字が汚いだの、スペルミスがひどいだの、教えてあげることもしないで散々批判していたじゃないか、と思われるかもしれませんが、勉強は一人で取り組むことも大切です。だから僕は、ここが分からない、と質問に来てくれた子には解説をしますが、そうでない子は放っておきます。それが僕なりの皆さんに対する愛というものです。ですが、さきほどは単に面倒臭いだけだった、というのも事実であり、たとえあの時に僕に質問に来たとしても断っていたとは思いますが。

 それはさておき、色々なことを含めて、僕の功績は山のようにありますが、僕はもっと偉大なことをして褒めちぎられたいのです。例えば、自殺しようとした人をすんでのところで止めるとか……。というわけで、僕はこの負け犬を助けてあげることを、今、ここに決意いたしました。なんて自分は親切なのでしょう。よく見れば遺書には自殺決行日の日時と場所まで書かれています。その日が楽しみで仕方ありません。うまくいけば、僕は学校中できゃーきゃー騒がれるでしょう。命の恩人様、あのとき死ななくてよかったです! 負け犬の感謝の言葉が頭をよぎります。見て見て、あの人がうちの学校のヒーローよ! 女生徒の称賛の声が聞こえてきます。よくやった。お前はこの学校の鏡だ。先生達からの熱い言葉が……。また妄想に浸ってしまったようです。そろそろカウンターへと向かいましょう。

 歩きながら腕時計にちらりと目をやります。約束の時間まであと少しです。急ぎ足で歩くことにし、それと同時に僕は頭の中で考えます。今日も一発、彼女の中に僕の優秀な遺伝子を送り込んであげましょう。

 

                       **

 

 今日、遺書を書いた。恋人を他の男に盗られたから死ぬなんて、情けないと思われるかもしれないけど、俺にとってはめちゃくちゃ傷ついたことだった。俺は彼女を愛してた。本当の本当に愛してたから、あいつの欲しがるものはたいてい何でも買ってあげたし、セックスだって何回もした。でもある時――突然別れを告げられた。別に好きな人ができたの、ごめんなさい。あいつは伏し目がちにそう言って俺のもとを去っていった。悲しかった。苦しかった。その日は夕食も食べずに自分の部屋にこもって一晩中泣いた。なんで、なんでだよ……。何回も自問自答を繰り返したけど、結局答えは出ずに夜を明かした。次の日、起きて鏡を見たら目が真っ赤になっていて、その日は学校には行かずに家にいた。何もしないと苦しくて仕方がなかったから、自分のノートパソコンでオンラインゲームに没頭した。三日間ぐらいは仮病を使ったけど、結局ばれて無理やり学校に行かされた。当然、授業の内容なんて全然頭に入ってこないし、ノートも教科書もただ机の上に置いてあるだけで、何の意味もなさなかった。気の合う奴からも何か話しかけられたけど、適当に返事をしておいて、自分から積極的に何か話そうなんて思わなかった。俺が彼女と別れたことはもう広まっていたみたいで、そんな俺を見てあいつらは、人が変わったなって俺のこと噂してたんだろうけど、もうすべてのことがどうでもいいように思えてきて、このまま世界が滅びればいいとさえ思った。部活も調子が悪いって言って行かず、まっすぐ家に帰った。帰る途中でいちゃいちゃしてるカップルを見るとなんかものすごくムカついてきて、大声で罵ってやるとそいつらは怯えた表情で走って逃げていった。ざまあみろだ。世界中のカップルがこの世から消えればいい。そのとき本気でそう思った。それ以外にもついてないことは色々あった。踏切にはひっかかるし、赤信号には何回も足を止めた。走り過ぎる電車や車を見つめながら、ここに飛び込んだら楽になれるんだろうなって思ったりもした。

 俺とあいつが出会ったのは高一の頃だ。体育祭の二百メートルリレーのアンカーを務めた俺の走る姿にひと目ぼれした、付き合ってくれ、と言ってきた。俺は快く了解した。顔も結構可愛かったし、胸も大きかったから。性格は結構おとなしい方だったけど、悪くはなかった。笑顔がこれまたキュートで、俺は彼女を喜ばせようとよく冗談を言い、二人で笑い合っていた。付き合い始めてから少し経った頃、あいつは俺にネックレスを買ってほしい、と言ってきた。ピンクのハートがついたしゃれたやつで、ためしに着けてやるとすごく似合ってたし、彼氏ならこれぐらい買ってやって当然かとも思ったから、俺は少し高いなと思いながらもそれを買ってやった。確か五千円ぐらいしたと思うけど、あいつがあんまりに嬉しそうにはしゃぐから、今度も何か買ってね、と言われたとき、ノーとは言えなかった。それからはしょっちゅうものをねだられた。俺が少し渋るような顔をすると、あいつはいつも自分の大きな胸を俺におしつけてきた。彼女がその気なのは明らかで、俺のモノもビンビンに勃起して今にも爆発しそうになっていた。その時は一万円ぐらいの腕時計を買ってやったが、それだけでセックスできるなら安いものだと思った。この世には自分の年齢でセックスできる奴が何人ぐらいいるかは知らないが、少なくとも俺はもうすぐ童貞を卒業するのだ。と、この時は興奮してたこともあってサーティーワンのチョコアイスまでおごってやった。

 それからは当然のように俺の家に直行し、セックスをした。両親はどちらも貿易会社を経営していて、夜遅くまで家には帰ってこない。だけど小遣いはまあまあもらえていたから別に不満はなく、むしろそんな両親に感謝してたぐらいだ。そのおかげであいつにプレゼントを買い与え、こうして心ゆくまでセックスができるのだから。

 俺は彼女の大きな胸を思う存分揉み、乳首を吸い、熱いキスを交わした。最初のうちはフェラチオですぐにいってしまったが、俺はそれだけで終わりにはしなかった。続く挿入時には全身に快感が走り抜け、俺はすぐに激しく腰を振りだした。一回出していたからすぐには射精せずに済んだし、彼女もすっげえ気持ちよさそうな声で喘いでた。果てた後、彼女に俺以外の奴とセックスをしたことがあるかどうか尋ねたけど、彼女は答えてくれず、曖昧な笑みを見せるだけだった。挿入した時に少しも痛そうな顔をしなかったし、それも演技には見えなかったから気になったのだ。まあセックスができれば、あいつが処女であろうがなかろうがどっちでもいいと思った。

 それからも俺は彼女の欲しがるものを買い与え、セックスをした。コンドームなしで、と言われたときはさすがにビビったが、お姉ちゃんのピルを飲んでるからと言われたので、まあいいかと思い、そのままセックスした。何回セックスしてもピルが効いてるせいか妊娠した様子もなかったし、それを隠しているような気配もなかった。っていうか、もし隠していたとしても、腹のふくらみですぐにばれるんだろうけど……。でもそのおかげで俺は思う存分彼女を抱くことができたし、あいつもあいつですっげえ気持ちよさそうにしてたから、俺はいつも満足してた。

 でもそんな幸せも、続いたのはたった二年と少し。それでも長い方だと言われるかもしれないけど、俺にとっては一瞬の風が吹いたようにしか感じられなかった。

 彼女はもういない。セックスもキスも、全部夢だったんじゃないかって思えてくる。こんなにセックスのことばっかり書いて、お前はその女をただ性欲のはけ口の道具として使ってただけじゃねえの? って思われそうだけど、決してそんなことはない。セックスは愛の印だ。俺達は愛し合っていた。だからセックスしたんだ。でももうダメだ。絶望だ。俺はあいつがいないと生きていけない。あいつは俺の身体の一部みたいなものだったんだ。あいつがくっついた男を恨んだこともあったが、もうどうでもいい。何もかもが嫌になった。死にたい。死にたい。死にたい。でももうすぐ死ねる。俺が死んだら彼女は悲しむだろうか。分からない。でも、もういい。もうすぐすべてが終わるのだから。

 

 

 

 九月一日、午後二時四十五分。俺は屋上の扉を開ける。十五分後にすべては終わり、新しい世界が始まる__。

                       *

 

 三時まであと五分あります。間に合いました。今日も彼女とは避妊具なしの交わりでしたが、彼女がいつもよりなんだか寂しげな表情をしていたのは気のせいでしょうか。それにしても五分後が待ちきれず、思わず顔がにやついてしまいます。眼鏡のレンズの汚れも落としましたし、準備満タンです……。

 今、屋上に続く扉のノブに手をかけました。

 さあ、僕の武勇伝の始まりです。

 

                      ***

 

 屋上に立つ一人の少年は、目の前に広がる都市の風景を見つめていた。ふと下を見てみる。あまり高いところが得意ではない少年は少しばかり身震いしたが、再び前を強く見据えた。

 あと三分。

 そう腕時計で確認したとき、後ろで人の気配を感じた。さっと振り返る。艶のある黒髪を風になびかせたもう一人の少年が悠然と佇んでいた。彼を強く見つめる。

「何だ」

 思ったより緊張してはいないようだった。声に震えもない。

「君が遺書を書いたのですね。僕は三時四分前からここにいましたが、君は全くそれに気づいた様子はありませんでした」

 黒髪の少年が早口で言った。

「何が言いたい」

「それだけ君が死のシミュレーションを頭の中で描くのに没頭していたのかと思うと、僕の心が痛みます」

 体ごと完全に黒髪の少年の方を向く。こいつはちゃんと俺の遺書を見てくれたのか。心の中でそう思った。

 彼はこちらに一歩ずつ、ゆっくりではあるが確かな足どりで歩いてきた。

「君は死ぬべきではないのです」

「うるさい」

「僕が借りた本に挟まれていた遺書は拝見しました。あなたが死にたいことはよく分かりました。しかし、彼女を他の男に盗られたからといっても、またこれからいい出会いがあるかもしれません」

 少年は続ける。自分が誰もから称賛の声を浴びているのを想像しながら。

「とにかく、君は自分の人生をまっとうに生きるべきです。僕のためにも」

「お前のため?」

 少年は薄く笑む。

「__いえ、今のは失言でした」

 すでに黒髪の少年は目の前に立っていた。その時、カラスの鳴き声が空に響き渡った。黒髪の少年が上空を見上げる。

「じゃあな__」

 次の瞬間、黒髪の少年の腕を掴むと、勢いよく屋上から突き落とした。

 眼鏡の奥の目が、微かに笑っているような気がした。

 

                       **

 

 作戦成功__その言葉が頭から消えず、思わず俺はにやにやする。俺の彼女を盗ったあいつを屋上から突き落としてから、俺は全速力で走って家まで帰ってきた。高ぶる気持ちを落ち着けようと思い、意味もなくテレビをつけてみたけど、面白そうな番組は一つもやっていなかった。なんだ、つまらない。とりあえずニュース番組を流しておくことにする。なに? 今は千年に一度の大不況? なんじゃそりゃ。まあどうでもいいか。すると番組が切り替わり、女のアナウンサーが何かの建物の前に立っている映像が映し出された。どこかの場所で生中継をやっているようだ。

 それにしても__思ったより簡単にいったな。まあ、始業式でみんなは午前で終わりだから、俺があいつを突き落したところを見ていた奴なんていないと思う。最初に屋上から景色を見たとき、学校のグランドには誰もいなかったし、その向こうに立ち並ぶ家々のベランダとか、二階の窓からも人の姿は見えなかった。やっぱり誰にも見られてはいない。完全犯罪、成功だ。そう思うとさらに顔がにやけてしまう。

 俺がこの計画を思いついたのは、彼女と別れてから少し経った頃だった。本気で死のうと思ったこともあったけど、やっぱりそんなことをするよりは、俺の彼女を盗ったあいつを殺してやろうと思った。死のうかどうしようかは相当ぐじぐじ悩んだのに、あいつを殺すことには何のためらいもなかった。ほぼ即決。だって俺が悪いんじゃなくてあいつが悪いのに、何で俺が死ななきゃいけないんだ? ってことにすぐに気がついたから。__じゃあ、あいつを殺せばいいんだ。俺はそう思い直した。あいつが俺の彼女とくっついたことは風の便りで聞いていたし、校内で何回も一緒にいるところを見たから、間違いはないと思った。俺と同じクラスで放課はいつも本ばかり読んでいるくせに、成績は常に学年一位で、みんなからちやほやされていて、なんかムカついた。まあ、ちやほやされてたのは成績のことだけじゃなくて、あいつはいろんな奴に親切にするし、困ってる奴を見たら放っておけないって感じの性格だったから、それなりに頼りにされてたところもあったようだけど、やっぱり完璧すぎて不気味って思う奴も多くいたんじゃないかと思う。俺もそのうちの一人だし、気の合う奴らもあいつのことは嫌ってた。もしかしたら見た目は完璧でも本当は腹黒いってことも十分あり得るわけだし。俺はそんなあいつの性格を利用して、今回の作戦を練った。遺書を書いて、『心理学大全』っていう分厚い本に挟んだんだ。前にあいつの机の上に『借りたい本リスト』って気味悪いくらい丁寧な字で書かれた紙がのっていて、上から順番に斜線がひいてあったから、次は『心理学大全』っていう本を借りるということが分かった。っていうか、紙はほとんど斜線で埋め尽くされていて、最後にぽつんと一つだけ残っていたのが『心理学大全』っていう本だったってわけ。でももしそれが他の誰かに借りられてしまったら計画が台無しだから、図書館に行ってみたけどその本があったのは誰も行かなさそうな奥の方。しかもでかい埃も被ってたから、長年借りられていない本であることは一目で分かった。そして、こんな本を借りるのはあいつぐらいしかいないということも。遺書にあいつの名前を出さなかったのも、あいつを騙すという目的があってのことだった。もし名前を出せば、あの遺書が誰に宛てて書かれたってことがばれるかもしれないと思ったから、本名の代わりに『あいつ』っていう言葉を使った。自分の名前を書かなかったのも、遺書を見るのがあいつだし、それこそどんな奴かあんま知らないから何をされるかたまったもんじゃないし、それにもし偶然にも他の奴がそれを見たらこれまた面倒なことになると思ったからだ。そんなこんなで、あいつは俺の予想通り屋上に現れた。これから自分が目の前の男に殺されるとも知らずにね。ほんと、勉強はできてもそういうところはバカなんだなあ! と心の中で罵ってやった。あいつがもし俺の方まで歩いてこなかったらってことはあまり考えてなかった。まあでも自殺を止めるともなれば、普通は俺の所まで来るよなってことは容易に想像がついたし、実際そうなったから問題はなかった。

 でもちょっとだけ気になることが二つだけあったんだよな。

 まず、あいつが眼鏡をかけていたこと。いつも教室じゃ眼鏡なんかかけてなかったから、なんで今日に限って? と思ったけど、いつもはコンタクトをしていたと考えれば納得がいく。でも普段見てる顔と違ったからあいつの顔を見たとき、一瞬、誰? って思ったけど、よく見ればあいつだってことはすぐに分かった。

 もう一つ気になったことは、突き落す瞬間のあいつの笑み。なんかものすごく不気味だった。普通は驚いたような顔をするんだと思うけど、あいつは笑ってた。見間違いなんかじゃない。確かに俺は見たんだ。もしかして、最後に変な驚き顔を見せるなんて癪だからわざと笑ってみた、とか? いやいや、そんなことはあり得ない。まあどちらにせよ、あいつを殺すことはできたんだから深くは考えないようにしようと思う。別に後悔とか罪悪感は今のところ感じてない。いつか感じたとしても、彼女を取り返せることを思えば、そんなのはどっちでもいい。彼女がまた他の男についても、また何か別の方法を考えてそいつを殺す。絶対だれにも渡すもんか。

 ん? 何かテレビの画面が騒がしい。何かあったのだろうか。え、いま何て言った? あれは……。お……俺の彼女! あっ! な、何で、何で……。俺の彼女が……いま、ダンプカーに向かって飛び込んだ……。

 

                       *

 

 今頃、君は自分の愛した人の死に心を痛めているのではないでしょうか。それは僕にとって大いなる喜びであり、計画通りということができます。死んでしまった僕が言うのもなんですが、これでよかったのではないでしょうか。というのも、それは僕にとってよかった、と言っているだけなので君には当てはまらないのかもしれませんね。

 さて、前置きもこのぐらいにして、改めて君に拍手を送りたいと思います。よく頑張りましたね。おめでとうございます。えっ、何に対して言っているのか、ですか? もちろん僕を殺してくれたことに対してです。君が僕を殺すであろうということはすでに予想済みでした。そしてそれを頼りに今日こうして君のために僕は自分の命を捧げようと決意したのです。君の遺書には『俺の女を盗ったあいつが悪い』と書かれていましたね。『あいつ』というのが僕自身であることは容易に想像がつきました。僕と付き合いだした君の昔の彼女は君のことに関して特に何も言ってきませんでしたが、以前に彼女が君と一緒にいるところを何回も目撃したことがあったので、彼女は君と別れたのだなと思ったのです。そして君は僕が彼女を盗ったと勘違いをし、遺書に僕のことを実名ではなく別の言葉で書いた。でもそれだけで『あいつ』の人物が完全に特定できるなんて、できすぎた話じゃないのか、と君は思うかもしれません。しかし君は、自分で気づいているかどうかわかりませんが、とても競争心の強い性格をしているのではないですか。リレーでは一位にならないと気が済まない。クラスの係も自分がやりたいものになるために烈火の如くじゃんけんに熱中する。気の弱そうなクラスメートの弁当箱から自分の好きな具材を勝手にもらい、まるで子供のように喜んでいる。お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの。まるでジャイアンみたいですね。わがままで自分勝手で、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない。まったく本当に呆れてしまう性格です。そんな君のことですから、自分で死ぬよりも自分の怒りの原因となっている存在、すなわち僕を殺すことの方が重要だと思ったのではないでしょうか。そして君は僕を殺すことに成功し、今は万々歳で喜んでいることと思います。しかし、僕はここまで思考巡らして君があの遺書を書いたことを突き止めました。何も知らないで喜んでいる君と、ここまでの遺書にまつわる真相を暴いた僕とを比べますと、天と地の差がありますね。もちろん僕が天で君が地です。月とすっぽんで言い換えますと、僕が月で君がすっぽん。ぷっ。思わず吹き出してしまいました。

 しかし、遺書の書き主が君だと分かった理由はこれだけではありません。もう一つの極めつけの理由は、あの汚い字です。日直の当番だったとき、僕はクラスの学級日誌を書き終え他の人が書いたページをパラパラと見ていました。そこで目にとまったのが君の字です。決して良い意味ではなく、あまりの字の汚さに目を奪われたということです。その記憶は遺書を見つけた時もまだ残っていたようで、それが遺書の書き主が誰なのかを示す決定的な証拠となったわけです。

 少し話が変わりますが、君の書いた遺書によると、僕が彼女を盗ったということになっていますね。これは大きな間違いです。正確に言えば僕が君の彼女を盗ったのではなく、彼女が君を捨てたと言った方が正しいかと思います。なぜなら、彼女の方から僕に告白してきたからです。告白されてからは彼女がそうであったように、僕の方からも君のことについては何も尋ねず、快く付き合いを了解しました。こうして僕は、生きているうちにやりたいことの一つである『セックス』も体験することができました。しかし、セックスとは何て味気のないものなんでしょう。挿入して、腰を動かして、精子を出して、快感を感じて……。その後のあと味の悪さといったら……いつか本で読んだとおりでした。罪悪感、喪失感、絶望感……自分は何て愚かなことをやっているんだろう、という最悪な気持ちになりました。僕を除いた思春期の男子は、あんな行為を神聖化しているということが僕には不思議で仕方ありません。セックスは愛の印だ! なんて叫んでいるどこかのおバカさんもいましたが、全くのでたらめです。愛はとてつもなく抽象的なものだと思いますし、それにもしセックスが愛の印なら、援助交際は互いに愛し合ってやっていることでしょうか? 男が女にお金を払ってセックスをする。それが愛と言えるのでしょうか? そもそもセックスを商売にしている時点で愛は崩壊しています。愛とは互いに利益を求めず、純粋に相手のことを好む、ということではないでしょうか。

 僕は確かに彼女のことが好きでした。あまり活発な子ではありませんでしたが、僕の話もよく聴いてくれる素直な子でした。セックスに関しては一回彼女とできれば十分でしたが、彼女が何回もせがむので仕方なくしてあげたのです。あの日も屋上に行く前に彼女と交わったぐらいですから。そして付き合い始めてすぐ、彼女は僕にプレゼントをねだり始め、僕はどんなに値段が高いものでも嫌な顔一つ見せずに買ってあげました。両親が医者ということもあり、僕の小遣いは月に三十万ぐらいでしたし、少々高くとも両親に頼めばすぐに大金が手に入ったので僕はお金に困ったことは一度もありませんでした。

 繰り返しになりますが、僕は君の遺書を見つけたとき、すぐにこれが自分に宛てたものだと悟ることができました。しかしその理由に関しては、君の性格や汚い筆跡以外にもまだあります。遺書が挟まれていた本についてです。もし本当に君が自分の自殺を誰かに止めてもらいたかったのなら、あんな誰も借りないような本に挟むより、皆に人気のあるベストセラーの本に挟むはずです。たとえそうでなくても、わざわざ本に挟む必要なんてありません。家のリビングのテーブルの上のような目立つところにでも置いておけば、すぐに家族がそれを見つけるはずですから。加えて、自殺の決行日時や時間まで書いてあるのもおかしな話です。僕はそういう系統の本を今までたくさん読んできましたが、そこまで具体的で書かれた遺書というのは見たこともありませんし、聞いたこともありません。たいてい遺書というのは憎い人の名前を書くとか、自分の苦しみを適当に書いておしまい、というのが多いものです。まあ、百歩譲って君の遺書は今までにない特別なものだったとしても、あれだけ具体的に書かれていれば、まるで相手にその情報を伝えたい、すなわち僕へのメッセージというように考えてもおかしくないのではないでしょうか。僕のことを本名で書かず、わざと『あいつ』という代名詞を使ったのも、本名を使うといかにも特定の人にこの遺書を見てもらいたいというのがあからさまになるが故に、ということなのだと思います。まとめますと、君は何らかの方法で僕が次に読む本を知り__多分僕の本のリストでも見たのでしょうが__正義感のある僕の性格を信じてあの本に遺書を挟んだ。そして僕を学校の屋上に来るように仕向け、殺そうとした__ざっとこんな感じでしょうか。

 君がこんな簡単な罠に僕がまんまと引っ掛かると思ったのなら、君のあだ名は『負け犬』が本当にぴったりだと思います。僕はそんなに馬鹿ではありませんし、先ほども述べた通り、すでに遺書を読んだ時から君が遺書を書いたということは悟っていました。ではなぜ屋上に向かったのか__。殺されたかった、というのは少し理由としてはあてはまらない気もしますが、これには少し補足をしておこうと思います。

 僕はこの十八年間でやりたいことを全て行ってきました。勉強、ピアノ、英会話、登山、作曲、陸上競技、水泳……。数え出せばきりがありません。もちろん海外旅行は世界各国を巡りましたし、有名人や海外スターにもたくさん出会い、家の壁には彼らのサイン色紙がこれでもかというぐらいに飾られています。読みたかった本を全て読み終え、あらゆる分野の知識を吸収してきました。何不自由のない恵まれた人生だったと本当に思います。しかし、あと一つだけやりたいことが残されていたのです。それこそが『死ぬこと』でした。

 僕は人が死んだらどうなるのかということにとても興味がありました。あらゆる宗教の本を読み、全く知名度のない宗教の講演会に出向いたこともあります。しかし、どの話も全て作りごとのように思えてきて、信じることができませんでした。しょっちゅう行った講演会で入会を促されたこともありましたが、いかにも怪しげで誇大妄想の馬鹿げた教えを唱える宗教ばかりでしたので、全て無視していました。それ以前にたくさんの本を読み、入会して高い壷を買わされただの、オウム真理教の地下鉄サリン事件だの、現代宗教の危険さは十分承知していたので、講演会での教えはあくまで参考までに聴いていた程度です。結局、どの本を読んでも、どの宗教の教えを聴いても、死後についての明確な答えは得られず、僕は自分が死ぬ以外に道はないと思いました。しかし、僕は自殺ではなく、殺人によって殺されることを望んでいました。自殺をする人間は負け犬。将来に希望を持つことを知ろうとしない愚か者――僕は自殺のニュースを耳にするたびにそう心の中で思っていました。何の前触れもない殺人ならまだしも、自ら命を断つなんて一体どういう神経をしているのでしょう。僕にはその人達の気持ちが全く分かりません。いや、そんなことを考えたのは今日が初めてかもしれません。

 なんとかうまく僕を殺してくれる人が現れないだろうか。そんなことを考えつつ、チャンスに恵まれないまま一年が経ちました。そして遂にあの日、本に挟まれていた遺書を見つけたとき、ぼくは自分の死を確信し、思わず狂喜しました。これでやっと死ぬことができる。死後の世界がみられる__。その日の夜は興奮しすぎて眠れなかったほどです。

 そして待ちに待った九月一日。僕はもう早く殺されたくて朝からうずうずしていました。そして今さっきようやく死ぬことができ、大変満足しています。もちろん、もし君が僕の復讐が目当てではなく、本当に死ぬつもりでいたとしても、きっと僕は君の自殺を止め、一躍ヒーローとなっていたことと思います。つまり、君が僕を殺そうとしようが自分から死のうとしようが、どちらにしても僕が利益を得られることに変わりはなかったのです。とはいうものの、やはり僕の予想は見事に的中し、君は僕を殺すことに成功しました。君も邪魔者がいなくなってよかったですね。今でもあの時の映像を頭の中で鮮明に復元することができます。最後の屋上から落ちる瞬間は、嬉しさのあまり笑ってしまいました。

 僕の復讐を終えた君は今、何を考えているでしょうか。やっとあいつを殺すことができた。これで彼女を取り返すことができる。なんて馬鹿なことを考えているほど、あなたの知能を低くありませんよね。僕はこれでも真面目な性格なので、殺人を犯した人間には何らかの罰を下さねばならないと考えています。罪を犯した人が幸福な人生を全うするなんて、フェアじゃないですよね。というわけで、あなたの愛する人は僕の指示であっけなく自殺しました。ダンプカーへの飛び込み自殺です。テレビの生中継を利用するなんてちょっと意外でしたが、彼女も一躍有名人になってあの世で満足しているのではないでしょうか。

 僕はあの遺書を見たときから自分の死はある程度予感していたので、彼女に詳細は言わず、自分が近いうちに死ぬかもしれないということだけ伝えました。彼女には何回も理由を尋ねられましたか、僕は答えませんでした。もし君に殺されるかもしれないなどと言えば、僕を心の底から愛している彼女のことですから、全力でそれを阻止しようとするでしょう。そんなことになれば僕の計画は台無しです。最後には彼女も折れて、「もしあなたが死んだら私も死ぬ」と泣きながら言ってくれました。ああ、この子は本当に僕のことを心の底から愛しているのだなと、このとき僕は確信しました。

 しかし、それだけではあなたが罪を償ったことにはなりません。しっかりと刑務所で反省する時間が必要です。え? あのときは誰にも見られていなかったから完全犯罪だ。ですって? 君の愚かさにはため息が漏れます。確かにあの日は始業式があり、授業もなく生徒は全員昼前には下校し、残っていた教員の数も少なかったため、僕達の行動を見たという人はいなかったのかもしれません。しかし、あのとき何か気にとめたことはありませんでしたか? もうそろそろ気づいてもいい頃だとは思うのですが、まだ気づかないとなると、やはり君の頭では完全犯罪なんてできるはずがありません。そして現にできてはいないのです。

 僕はあのとき眼鏡をかけていましたね。普段、教室では眼鏡なんてつけたことがない僕があの日に限って眼鏡を使うなんておかしいと思いませんでしたか? 僕は視力が生まれつきいいので、眼鏡どころか、コンタクトさえしたことはありません。そこが君の盲点でしたね。あの眼鏡はあの日のために特別に作ったもので、双方のレンズを繋ぐフレーム部分に超小型カメラが搭載されていました。もしものことがあったら僕の眼鏡で撮られた映像を見るように、と父に言ってあったので、もう今頃は君が僕を殺した犯人であるということが警察や父によって確認されているのではないでしょうか。眼鏡本体には象が踏んでも壊れないように強力な素材を使用したため、多少の重量はありましたが、学校の屋上から落ちた程度の衝撃では、かすり傷の一つや二つぐらいの損傷しか見当たらないと思います。

 もうすぐ君のところに警察が行くでしょう。君は逮捕されて、裁判にかけられるはずです。父は裁判に強い有名な弁護士を何人も知っていますし、頑固な性格なので、愛する息子のためならばと、裁判では君を全力で潰そうとするでしょう。君も運が良ければいい弁護士と巡り会えるかもしれませんが、裁判にはお金がかかるということも忘れないでくださいね。僕の家系は医者でそれなりの資産もあるので問題はないですが、君の家はどうでしょうか。――確か、君の御両親は貿易会社を経営していると、誰かから聞いた覚えがあります。千年に一度の大不況といわれる今の時期に、君達がどれだけ耐えられるかは分かりませんが、せいぜい負け犬は負け犬らしく、全力を尽くしてみることをお勧めします。とは言っても無駄なあがきになるとは思いますが。

 それでは、これからの君の人生が不幸で苦しみに満ちたものになるよう、心からお祈り申し上げます。またいつか、死後の世界で君と出会えることを楽しみにしていますね。

 

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 今まで付き合ってきた男たちの中で、特に記憶の新しい二人のことについて書こうと思う。高一の頃、スポーツマンタイプの男子と付き合い始めた。でも誤解しないでほしい。私は別に彼のことが好きで付き合い始めたわけじゃない。なんとなく金を持ってそうだったから、体育祭のリレーでかっこよかったとか適当なこと言って付き合ってもらった。けっこう見る目はある方で、予想通り彼の親は貿易会社をやっていてそれなりに金持ちだったから、色々ねだって買ってもらった。まあ、簡単に言えばお金のために利用してたみたいな感じだけど、別に罪悪感とかはなかった。でもプレゼントよりももっと欲しかったのが自分の子どもだった。 いつの頃からか自分の赤ちゃんを持ちたいと強く願うようになって、付き合った男たちとは何回もセックスした。だけどピルを飲んでるとか嘘ついてコンドームなしで何回セックスしても、なかなか子どもはできず、スポーツマンタイプの彼とも別れた。なんかだんだん彼の顔にも飽きてきたし、ここんとこの不況で会社の経営が悪化したとかで小遣いも減らされてたから、プレゼントも安っぽい物になって、もう別の男に変えようと思った。

 次に付き合い出したのは、前の彼とは正反対のタイプの男子。成績は学年トップだったし、医者の息子みたいだったから結構いいものを買ってもらった。でもいつもですます口調で正直きもって思ったけど口には出さなかった。セックスだって何回もした。普通の男子なら大喜びのはずのセックスにあまり乗り気でない彼を「変な奴」とも思ったけど、やっぱり赤ちゃんが欲しかったから、コンドームなしでやってもらった。でもやっぱり赤ちゃんはできなくて、さすがにおかしいと思った私は親に内緒で産婦人科に行って自分の体を調べてもらった。結果は……不妊症。私は絶望した。前から何か変だとは薄々感じていたけど、はっきり症状を告げられるとやっぱりショックだった。これからどうやって生きていけばいいんだろう。私はこんなにも自分の子どもを切望していたのに、まさか自分が子どもを産めない体だったなんて。でも、さらに私に追い打ちをかけるようなことが起こった。なんと私はエイズにかかっていた。そういえば最近、しょっちゅう熱が出たり、下痢したりして、変だと思ってはいたけど……。前に一回だけ中年のおっさんと援助交際したときにうつされたのかな。それとも今まで付き合ってきた男子の中にエイズの感染者がいたとか? でもそんなことはもうどうでもいい。どうせ私はもうすぐ死ぬんだから。エイズを発症して。両親や彼に言おうかどうか迷ったけど、やめておいた。言ったところで何も解決しないし、うちの両親なんてどーせ、ぎゃーぎゃー騒いでうるさいだけだから。彼とのセックスももうやめた。不妊症の体でセックスしても子どもなんてできないし、エイズがうつっちゃうといけないから。まあ、もううつってるかもしれないけど……別にそんなことどうでもいいか。

 そんなとき、彼が「自分はもう少しで死ぬかもしれない」と私に言ってきた。私は彼を心配してるふりして理由を何回か訊いたけど教えてはくれなかった。代わりに「僕が死んだら君も死んでくれますね」なんて言うから、なにバカなこと言ってんだこいつ、とか思ったけど、自分はもう子どもも産めないし、エイズにもかかっていて、どうせあと少ししか生きられないんだから別にもう死んでもいいかなぁって思い直した。「あなたが死んだら私も死ぬ」なんていう恋愛ドラマのような嘘臭いセリフを、嘘泣きまでして言ってやったら彼は感激してた。ほんと、バカみたい。私はあんたのために死ぬんじゃないし。そう心の中で毒づいた。

 九月一日は始業式で午前までだったから、午後からは彼と遊んで、セックスもした。でもなんか、気のせいかもしれないけど、今日彼と別れたらもう一生会えないんじゃないかって突然思えてきて、もしかしたら今日彼は死ぬんじゃないかと考えだすと、セックスしている間もあまりオーガズムに集中できなかった。それから彼は「三時から用事がある」と言って私の家を後にした。なんか嫌な予感がしたから、引き止めようかと思ったけど、もう彼は家を出て行った後だったし、追いかけるのもめんどくさかったからやめた。それでも少し経ってからまた彼のことが気になってそわそわしてきて――別に彼のことが心配になったわけじゃなく、これから彼が何かをしでかしそうな予感がして、それに興味を持ったから――携帯に連絡したけど繋がらなかった。何回電話してもつながらなくて、外に出たら電波が届きやすくなるんじゃないかって思ってベランダに出てみたら、ちょっと不思議な光景が見えた。私の家はちょうど学校のグランドと隣り合わせに建っていたから、ベランダからは学校の屋上が丸見えだった。屋上に二人の人影が見えて、慌てて双眼鏡をとってきてよく見てみたら、その二人は彼と私の元カレだった。そして次の瞬間、彼の身体が宙に浮いたかと思うと、ゆっくりと落ちていった。いや、本当ゆっくりなんてスピードじゃなかったんだと思うけど、なんかそう見えた。落ちていく彼の姿を凝視し続けた後、屋上の方を見たら、もう誰もいなかった。あの時の予感はこれだったんだなってそのとき思った。別に警察に通報しようとか、学校に連絡しようとは思わななかった。だって別に二人のこと好きじゃなかったし、私もこれをいい機会に死のうと思ったから。彼が本当に死んだのにはちょっと驚いたけど、自分もこのあと死んだら、同じ日の近い時刻に同じ学校の生徒が死んだとか大きく騒がれて、私も有名になるんじゃないかと思って、すぐ死ななきゃって家を飛び出した。二階のベランダから飛び降りたぐらいじゃ中途半端に死ねないんじゃないかと思って、電車に飛び込むのがいいかなぁって考えてた。大通りに出てあたりを見回すと、どこかのテレビ局が新しくできた高級レストランの取材をしていた。私はそこまで言って、取材なのに構わずカメラを持ったおじさんの肩をポンポンと叩いた。おじさんが私の方を振り向かなかったから、私はアナウンサーの女の人の前に立って「私はこれから死ぬ!」と大声で叫んだ。あたりがざわつき始めてから、私は道路の方に走っていって、たまたま猛スピードで走ってきたダンプカーに飛び込んだ。

 死ぬ瞬間、みんなの叫び声が聞こえてきて「やったぁぁぁぁ‼」って思った。

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