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紫のハルジオン

​Author : Kaito Sato

澄んだ空気は、ほんの少しだけ冷んやりしていた。突き抜けるような青に、いい塩梅に白が浮かんでいる。

 

 

 スェード靴の固い底に、小石というには小さい、凹凸が感じられた。一歩踏み出すと、柔くてほっとするような感触が伝わる。

 これが、僕の故郷の感触。

 同じアスファルトでも、あの街ではのっぺりと無機質で、無感動で、無表情だ。

 この町だと、デコボコといびつで、表情豊かで、頑固で、優しい。

 

 

 遮る物なく、風が吹く。気まぐれで、自由な風。僕のスプリングコートは、生きているように、ふわり、ゆらりと踊り舞う。

 

 

 バス停から、ものの3分も歩けば、黒々とした土壌が広がる。刺繍糸のような畦道が不完全な直線で、黒土の間を走っている。

 

 

 その中を、おっかなびっくりで歩いて行く。

 いたいた。

 畦道の端っこにちょこんと座って、球筋を読むゴルファーみたいな動きをしてる。

「麻衣、今年は何を植える予定なの?」

 

 

 おばあちゃんが着るような、花柄の野良着の肩が、面白いくらいの勢いで飛び上がった。振り返った顔は、純度100%のびっくりだった。垂れ気味の、のんびりした目は張り裂けそうなくらいに見開かれて、口は綺麗なoの字になっていた。

「・・・春斗君?」 

「ただいま」

 

 

 小さい頃から、仲が良かった麻衣。5歳も違うけど、一応幼馴染ってやつだ。ちょっと前まで小学生だったような気がするのに、もう高校3年生だ。

 

「え~、もう春斗君、大学卒業?早いな~」

 

 考えてることは、あっちも同じみたいだ。

 

「そっちこそ。まだ小3くらいかと思ってたら。いつ高校入ったの?」

 

「も~、ひどい」

 

麻衣は、軍手の手を振り回して頬を膨らませた。

 

「春斗君って大学どこだっけ?」

 

「んー?N大の文学部ドイツ哲学科」

 

「ドイツテツガクカ?」

 

「まあ、一応カントの道徳法則の現代社会における価値と、倫理学面での応用の研究をしてたんだけど」

 

「???」

 

 麻衣は、ラテン語かヘブライ語で話しかけられたような顔をしている。そんな様子が可愛くて、ついつい舌が加速しそうになるけど、さすがに大人気ないから自重。

 二人並んで、畦道の端っこに腰を下ろす。小さな、薄紫の花が足下に咲いていた。

 

「麻衣は、高校出たらどうするの?就職?」

 

「うん。那須市のオオクボ農機に」

 

「おー、結構大手じゃん。よかったね」

 

「春斗君は?」

 

「俺?俺は長野と東京のどっちの教員採用試験受けようかなって、母さんと相談しに帰ってきた次第」

 

「すご~い!じゃあ、これからは深川先生って呼ばなきゃ」

 

「いや、まだ受けてもいないから」

 

こうやって、いつものように他愛ない話をしていたが、段々と麻衣が伏目がちになりだしたり

 

「・・・」

 

「麻衣・・・?」

 

「・・・それじゃあ春斗君、東京行っちゃうよね」

 

 麻衣は、軍手の指先を見つめたままポツリと言った。

 

「え?」  

 

 そういえば、大学進学が決まって、引っ越すってなった時も、こんなリアクションだったっけ?

 

温かいけど、冷たいような風が、足下の小さな花を揺らした。

 

「あのね、春斗君」  

 

 麻衣は、急に投げ出していた足を体育座りにして話し出した。真面目な話しをする時の、一種の合図だ。

 どことなく、答えは分かるけど、それは落ちかけの吊り橋の向こう側にあるような、そんな感じ。

 

「あのね、あのね・・・」

 

 ぐずっというように、麻衣の言葉が詰まる。顔を腕の中に埋めて、さっきよりも丸くなる。

 

「行かないで・・・・・・」 

 

 風に乗って、消えてしまいそうだったけど、僕の耳にはっきりと。

 

 また、足下の花が風にふかれた。薄紫色の小さな花。

 

「ねえ、麻衣」

 

 僕は、麻衣の肩を叩いて、その花を指差した。

 

「あの花、なんていうか知ってる?」

 

「・・・ハルジオン?」

 

 一つうなづいてから、小さな花弁に手を添える。

 

「ハルジオンってね、空気の綺麗な所じゃないと、こうゆう紫色にならないんだって」

 

 ごめんなさい。

 心の中で呟いて、小さな花を一つ摘む。

 

 麻衣の、涙いっぱいの目の前に持っていく。

僕の目の前に、花二つ。綺麗だ。

 

「こんな綺麗な花が見られないとこに行くなんて、勿体無いじゃないか」

 

 春風がまた、二つの花を優しく撫でた。

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