from 19/04/17
不思議な男の子
Author: Saito Rei
長野県のとある町にある森の小屋というカフェにいた。兼松勇気は目の前に広がる浅間山をぼんやりと見つめながら、寝癖のなおっていない髪を触る。相変わらず硬い髪質だな、と思った。
五月のゴールデンウィークに家族でこの町に旅行しようということになり、今日ここまできた。ただ、勇気は全くもってこの土地に興味がわかない。ゴールデンウィーク中はどこに行っても人ばかりだし、ショッピングも楽しくない。これなら家でゴロゴロしていた方がよっぽどマシだと思ったが、母が行きたいという要求を家族で受け入れたのだった。
ここもなんか荒んでるな、と思う。壊れかけた椅子、それにだらしなく垂れ下がっているハンモック。カフェの横には年老いた一匹の犬がのんきに昼寝をしている。でもその最大の要因はそういうところではない。多分、木に葉っぱが茂ってないからだろう。夏になれば、黄緑、深緑、といった透きとおるような色の葉で埋め尽くされ、みずみずしい外観をもたらすのだと思う。
ぼーっとたそがれていると、いつの間にか勇気の横に一人の男の子が立っていた。紺と臙脂の模様が入ったジャージを身につけている。まだ十歳ぐらいだと思うが、家族で来たのだろうか。ニコニコして勇気の方を見ている。
「何か用?」
男の子は少し口を尖らせて、
「べっつにー」
と言って走り去って行った。
なんだありゃ……。
勇気はあっけにとられながら、建物の陰に身を隠した男の子の方を目で追っていた。
まあ、いいか。
そう思い、再びたそがれを開始する。さっきと同じ風景だが、特にすることもないので今はこうしているのが一番心地いい。
しばらくすると、またあの男の子が勇気のところに走ってきた。
「お兄ちゃん、あそぼ!」
さっきの消極性はどこにいったのやら、勇気の手をぐいっと引く。
「じゃあ、お兄ちゃんはうんち役ね!」
いきなりわけのわからない役を押しつけられ、思わずガクッとなった。
「は?」
「僕はトイレ役!」
「一体なんの遊び?」
「トイレ遊びだよ」
そんな遊び、初めて聞いた。
男の子はしゃがむと、腕で大きな輪を作った。
「はい、うんちはここの中に入って」
ここ、というのは腕で作った輪っかの中のことだろう。勇気はその中に入った。
すると男の子が立ち上がり、勇気にギュッと抱きついてきた。
「捕まえた~」
そう言ってにやにやしている。全然遊びの内容が理解できないんだけど。
すると、男の子はパッと手を離した。
「じゃあねー」
彼はそう言うと、たたたたっと去っていった。
それから、彼を見たことは一度もない。
夜、ホテルに戻ってから、勇気はトイレの中であることに気づいた。
便秘が治ってる。
ここ最近、ずっと便秘気味でお腹が苦しかった。けれど今は驚くほど快活に便が排出されている。
もしかして……。
勇気の頭の中には、昼間に出会った男の子の顔が浮かんでいた。
アメリカ合衆国にある世界健康維持センター、通称WHMCの第一研究室にある少年が現れた。
「ただいま帰りました。ミス・ウイリアム」
「お帰りなさい。ミスター・ゲンキ」
四十路を迎えたぐらいと思われる金髪の女性が元気に微笑みかけた。
少年の名は中山元気。先ほど、兼松勇気の便秘を治したばかりだ。
「治療はうまくいきましたか?」
「はい。成功です」
元気はスマートフォンの映像を見せながら言った。画面にはトイレの便座に座る勇気の姿が映っており、その姿は便秘が解消してスッキリとした表情をしていた。
「ご苦労様。今日はゆっくり休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
元気はそう言うと、ウイリアム博士に向かって軽く会釈をしてから、研究室を後にした。
このセンターでは全世界の人間の健康を一括管理している。飛行可能な世界最先端の超小型カメラで国民一人一人を常に監視し、体調に問題があれば、一般人に変装させたセンターの派遣員を送り、体調の解決を図る。
普通の病院もこの世には山ほど存在するが、ここではそれらとは別の働きをする。例えば、旅行中に病気を患い、近くに病院がない場合、ここの派遣員が駆けつけ治療する。それ以外にも軽い体に関する困りごとならば、派遣員が治療する。本人に気づかれずに治療することがこのセンターのモットーであり、その理由は諸説あるが、明確な理由は誰も知らない。
ただこの機関は初め、アメリカ人のアッパー・プートル氏が道楽で建設したもので、公式的に認められているわけではない。だが、影で国民の健康を支える役割を果たすにはそれなりに機能していると言えるだろう。
治療法もかなり適当だと思われるかもしれないが、これらは彼が長年の研究の末に発見した治療法の数々であり、実際の効果も実証済みであった。
中山元気はこのセンターの派遣員で、主に便秘の治療を行なっている。ここの派遣員になるのはとても簡単で、特に性格の異常などがなく、普通に健康な体を持っていれば年齢を問わず誰でもなることができる。元気は幼い頃、サッカーで怪我をした時に治療をしてもらった派遣員に憧れ、早くもここで働くことに決めた。怪我をした日は運悪く治療できる者が誰もいなかったときで、一人で泣いていたところ、どこからか現れた青年に治療してもらったのだ。とても話し上手な青年で、お喋りに夢中になっている間に足には包帯が巻かれ、治療は終わっていたのだった。
このセンターは学校などの教育機関も併設しているため、学力向上の面に関しても心配はない。はたから見ればなんとも不思議な施設だが、この世にはまだまだ興味深いものがたくさんあるのだ。
明日はどんな人に出会えるかな。
元気はうきうきと胸を弾ませながら眠りについた。