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最前線の人達

​Author: Kota Kumano

 ヨーロッパ中部にある小国の辺境にあるベーテン地方は、古くから独立運動が盛んに行われていました。元々二つの国が政治的背景によって合併したこの国では、当初から、旧の二国間による争いが行われており、ベーテン地方は旧マーテルン国の中心地である地方でした。

 ある年の秋、旧ベイマリア国の中心地であったエリーナ地方で一つの事件が発生しました。深夜の店舗に侵入したテルン人が、巡回中の警官に出てきたところを発見され、その場で射殺されたというものです。

 その後、このテルン人がその店舗の正規従業員であり、忘れ物を取りに来ただけであること、その旨を伝えたにも関わらず銃殺されたことが世間に伝えられると、瞬く間にベーテン地方では大規模抗議運動が展開されました。

 過去数年の間にも抗議運動は存在していましたが、ここまで大規模な運動は初めてであり、次々とリーナ人が経営するベーテン地方の店舗が破壊、略奪の対象となりました。

 冬の始まる頃、そんなベーテン地方で遂に、テルン人による集団暴行事件が発生し、被害者のリーナ人は全身打撲と内臓破裂を起こしたことによる衝撃で死亡しました。

 いよいよ国内の雰囲気が大戦後、最悪の状況に陥る一歩手前で、大統領は国家非常事態宣言と外出禁止令による、強制的な治安改善策に乗り出しました。

 当初こそ、国民や野党から数多くの批判に晒されたこの政策でしたが、やがて一月も経つと、目に見えるような、露骨な人種対立は少なくなりました。ネット上や小規模な争いは続いていましたが、これ以上の外出禁止令の継続は経済界に甚大な影響が及びかねないことから、本年最後の一日である大晦日前日に、全面的な外出禁止令の解除と、人種差別排除の徹底を発表しました。

 大晦日、浮足立った人達は次々と各地方の中心都市へと集まりました。その中でも、首都を兼ねるエリーナ地方の中心都市、ヘルマナには幾万の人々が集まります。

 新年を迎えるまでのカウントダウンは、この都市全体に響き渡るかと言うほど、大きな大きな声となりました。

 カウントダウンが終わった瞬間、街中に花火が打ち上げられ、至る所で人々がシャンパンを飲んだり、抱き合っていたりしました。

「去年は去年、今年は今年、みんなで良い一年にしよう」

「今年こそは、ベーテンの君の街に遊びに行くよ」

 あちらこちらから、そんな言葉が聞こえてきました。

 みんなが笑顔になる中、ある男が大きな声で叫びます。

「ベーテンの同胞達よ、幸あれ」

 そして、男は爆発しました。

 男が所持していたのは隣国からの流れ製品である旧式の爆弾でしたが、それでも周囲の人々を殺戮するのには十分過ぎる威力でした。

あっという間に数十人が血肉袋に変貌した広場で、どこからともなく、やがてリーナ人によるテルン人への虐殺が始まりました。花火で、花瓶で、包丁で、未だに収まらぬ騒ぎの中で、次々とテルン人の断末魔が聞こえては、地面を覆う石に頭がぶつかる鈍い音がこだまします。

冷静なリーナ人が、大きな声で荒れ狂う同じ民族に対し制止を呼びかけました。もちろん、誰も聞いてくれません。やがて、そんな彼も妻をついさっき失った男の手により、沢山の血を頭から出して、そのまま動かなくなりました。

しばらくしてやって来た正義感溢れる警察官は、拳銃を奪うために、若しくは、それに抵抗した警官が銃を放ち、それによって負傷した仲間を見てたぎらせた復讐心の為に、虐殺の対象になりました。自らの役職を示すだけの、何も防弾機能の付いていない黒と青の制服を着た彼らは、次々と仲間達が持っていた凶器から打ち出された弾丸によって、その生命活動を停止させられていました。

一報を聞いた大統領は事態の鎮圧の為に、軍隊を用いた強制排除を画策しました。その意見を提案するために緊急会議へ向かう途中、暴徒化した住民に車両を襲われました。やがて一発の発砲音がしたと思うと、大統領は車内で胸に穴を空けて動かなくなりました。

夜が明ける頃、混乱は国家全体へと伝わります。

そして、この国、ウィダーナは崩壊しました。

ウィダーナは戦争の大好きな隣国と有事があった際にすぐ対応できるよう、首都ヘルマナにほとんどの中枢機関が集まっていますが、軍隊だけは隣国に近いベーテン地方に中心を置いています。もちろん、その為に軍隊の上層部はテルン人とリーナ人が程よく占めていますが、兵士の多くはテルン人でした。

新年を迎えて最初の朝、国家元首を失った軍部は独断で広がる混乱を秩序で解決しようとしました。すぐに動いた軍隊でしたが、兵士の多くは首都の有様を見て愕然としました。血だまりに横たわる人々の多くは、自分達の生まれ育った町でよく見る特徴を持った人達でした。それでも、自らの感情を抑えて、上層部が指示する負傷者の救出及び対立行動の武力鎮圧を行いました。昼を過ぎた辺り、一度作業を中断して数えた死者の数は、五〇〇を裕に数えて、最終的には五七九体に及びました。その九割以上が垂れた目をしている、テルン人若しくはテルン人に見えるリーナ人でした。

郊外に行くと、高級車が無残な姿で晒されていました。そのナンバーや見た目は、テルン人とリーナ人の混血児である大統領愛用の車と全く同じでした。

多くのテルン人の兵士は、いい加減この状況に堪えてた感情が爆発しそうでした。それでも爆発しなかったのは、彼らが崇敬する軍部最高司令官である、テルン人の英雄、ワイリアナ・ヘルツェルンの演説があったからです。

『君達が感情に任せて撃った一つの銃弾が、この国家を

終焉に導く。君達の仕事は終焉に導くことではない。

君達の仕事は、テルン人とリーナ人の子孫の為に国を

希望に導くことである。生まれ育った街を守ってくれ』

その言葉を信じて、彼らは『仕事』だけをこなします。

 

新年を迎えて三日目の朝、遂にベーテン地方の最大都市トヴィツキで大規模な暴動が発生しました。道行く人々はそれぞれが武器を構えて、数多くのリーナ人政治家が未だ取り残されているベーテン地方最高議会場に向かいます。この暴動が今後の国家の行く末を左右すると直感したのはヘルツェルンです。彼は自ら暴動の真ん中へと出向いて、人々を説得しようとしたのです。

「彼らを説得しても、また暴動は起こる。今すぐに彼らを武力を以て弾圧しろ」

 そう命令する地方最高議会場の政治家からの電話を無視して、ヘルツェルンは単身で暴徒の民の真ん中に向かい、テルン人の同胞を説得することになんとか成功しました。テルン人にとって、ヘルツェルンの存在はそれほどまでに大きかったのです。

 そんな郷里の英雄は、その日の夜、ホテルの自室にて、『不幸な銃の暴発事故』により亡くなりました。

後は、まるでドミノ倒しのように事態は進みます。

 次の日の朝、未だ多くのリーナ人政治家が退避していた地方最高議会場が、爆発音と共に崩壊していきました。

 その内、野次馬の間を郷里の英雄の死が駆け巡ります。こうしてテルン人の暴徒は遂に、町に住むリーナ人の虐殺を始めました。リーナ人も、リーナ人を庇おうとした同胞達も、見境なく暴徒は殺戮していきます。

 ベーテン地方最後の理性であった軍部でも、昼前に民族共闘に関する交渉の決裂がなされ、リーナ人軍人はヘリで首都ヘルマナの警察当局へと、テルン人はそのまま軍部に残りました。

 そして、国内の民族は真っ二つになりました。

 まず、各地方に残留した敵対民族が、殺戮保護の名目で収容所へと収監されました。最初こそ戦争法を気にして、嫌がらせ、と言っても罵倒や暴力しかありませんでした。

 しかし、一週間もしない内に、男性への拷問、女性への性的暴力が頻繁に行われるようになりました。蛮行を注意しようとした真面目な看守は、数日後、別の収容所で収容される側の立場となりました。

 全体の一割にも遠く及びませんが、国内ではリーナ人、テルン人に次ぐ多さであったキドリア人は、二割が他国へ亡命し、残りの八割がキドリア地方に取り残されました。

 ウィダーナ内戦は、こうして始まったのです。

 デイチャ・オルマーナは、ベーテン地方で生まれ育ち、ベーテン地方軍部に入隊した、生粋のベーテン人でした。一兵卒の彼でしたが、サッカーでは地方代表にも選ばれた経歴を持つ、地元の英雄でした。

 デイチャは、第一線の一人として、ヘルマナでの虐殺をその目で見てきました。ヘルツェルンの演説がなければ、彼はすぐにでもリーナの民間人を射殺していたでしょう。

 しかし、そんな彼にとっての英雄も、リーナ人上層部による暗殺によって命を落としたのです。だから、彼は復讐心を胸にたぎらせていました。選び抜かれた第一線の一人として、彼はベーテン地方とエリーナ地方を隔てる極寒の川を渡り、朝も夜も行軍を続け、その途中で亡くなった、何人かの同胞の思いを胸に行軍を続けました。

 そして、エリーナ地方東部のサホール市において警察を中心としたエリーナ軍と会敵した彼は、『サホール市街戦』と呼ばれるウィダーナ内戦の緒戦を迎えるのです。

 

 サホール市街戦が勃発して五日目の朝、彼はいつも通り銃の点検をしているところを敵兵に見つかり、一瞬で頭を狙撃されました。

 サホール市街戦ではデイチャを含む二五〇人もの死者が生まれました。二五〇もの人生が、二週間の内に終わってしまったのです。これも戦争の性です。

 イマハン・リージンは、リーナ人警官であり、内戦以降エリーナ軍の一人として活躍しました。彼は模範の警官として何度も表彰された、知る人ぞ知る有名人だったのです。

 模範の警官であった彼は、緊張状態下のカウントダウンイベントの警備として、上官から配置を指示されました。喧騒の中でも毅然とした表情で大衆を見守る彼でしたが、『カウントダウンテロ』において、飛んできた鉄片により右手小指を切断する重傷を負いました。そのまま警察車両によって病院に搬送された彼は、翌日、彼を見舞いに来た同僚によって、首都で起きた虐殺と、その渦中で殺された多くの部下のことを聞きました。彼は部下の死を嘆いて、その発端であるテロ事件を大いに憎みました。その感情はやがて、テルン人全体に対する憎悪となり、彼は志願して第一線へと向かいました。怪我の影響で直接の戦闘行為は許可されませんでしたが、緒戦以降は警察部隊への指示を任されました。

 

 ヘルマナに程近いカラマーナ市での戦闘において、彼は砲撃によって足を吹き飛ばされ、猛烈な痛みの中、数人の部下に看取られながら死亡しました。

 カラマーナの戦いではイマハンを含む八七人もの死者が生まれました。八七もの人生が、その終わりを意識させることなく、唐突に途切れました。これも戦争の性です。

 マリア・ミツカナは、キドリアにある女子高に所属するいたって普通の少女でした。朝、高校の近所にある家から徒歩で通学し、昼、友人と語らいながらご飯を食べ、夜、家族で好きな映画を見る、いたって普通の高校生です。

 国内で内戦が起きても、彼女は自分達の住むキドリアは関係ないと思っていました。だから、ニュースで何百人も死者が出たと聞いても、五分後にはその情報さえも忘却の彼方へと押し出されました。そして彼女は、いつも通り、ネットで友達とお気に入りの映画について話すのです。

 ある日の授業中、いきなり爆発音が遠くから聞こえて、思わず音のした方向を見ると、白煙が昇っています。顔を青白くした彼女は、ここにきてようやく、自分達も戦いの渦中にいることを理解しました。急いで自宅へと戻って、同じように帰ってきた弟と母親と一緒に、キドリアからの脱出を図ります。事態の深刻さを理解した彼女は、自分は生き残れると信じて、母親の運転する車に乗ります。

 

 そんな彼女も、キドリアから後一歩のところでベーテン軍に見つかってしまい、家族の目の前で強姦された挙句、脅された弟の手によって射殺されました。

 内戦に関係ないキドリアで起きた『キドリアの虐殺』は数百人もの死者を生みました。その死さえも認知されずに亡くなった人も大勢います。これも戦争の性です。

 ミーナ・カイツェルンは、ベーテン地方の出身であり、現在は国内最高峰の大学であるヘルマナ大学に所属する、一介の学生でした。彼は教育学を専攻しており、将来的にベーテン地方の教育現場を任される立場にもなるだろうと期待されていました。

 内戦以降、何度も大学に在学するテルン人の引き渡しを政府は要求してきました。それでも学長はそれを突き返し学生を守ってきたのです。その恩義に感動したテルン人の中には、安全の為にベーテン地方への帰還を推奨されてもヘルマナに残留する生徒も少なくありませんでした。彼女もまた、そんな生徒の一人でした。

 どれだけ戦闘が激化しても、どれだけ政府がテルン人の引き渡しを要求してきても、大学はその役割を果たして、平等な姿勢を貫きました。例え学長が暗殺されても、大学は生徒を守ったのです。

 

 ベーテン軍は怒涛の進撃を続け、遂に戦闘がヘルマナで行われました。その戦闘の中、最後まで大学に残っていたミーナは、ベーテン軍の放った砲撃により崩落した学棟に巻き込まれ、暗闇の中で息を引き取りました。

 内戦史上最大の戦いになったヘルマナ攻防戦では、軍人民間人関係なく、四万を超す死者が出ました。同胞の手によって亡くなった人も大勢います。これも戦争の性です。

 ルサ・レンモは、ヘルマナでレストランを経営していた一般人でした。比較的寛大なリーナ人の彼は、民族に関係なく多くの従業員を雇い、同時に彼らを愛していました。

彼の人間性もあって、レストランは大繁盛していました。

 ある日の夜、忘れ物を取りに来た、彼の大事な従業員の一人が強盗と勘違いされて、警察に射殺されました。彼は涙ながらに警察に抗議しましたが、これ以上民族の対立を煽りたくない警察は、ルサに多額の裏金を払い、無理やり抗議を取り下げました。それでも、彼は他の従業員と共に抗議を続け、やがて内戦が始まりました。

 内戦が始まってすぐに、彼は収容所に収監されました。収容所と言っても、彼の所属する第一ヘルマナ収容所は、比較的処遇の良いところでした。しかしある日、彼は別の収容所へと送還されました。そこは暴力が日常茶飯事の、オルジン・ヘルマナ収容所です。

 

 収容所に収監されて二週間が経ったある日、彼は所長に話があると呼び出され、それ以降監房には戻ってきませんでした。翌日、死体運搬用のトラックには、彼そっくりの青あざを沢山つけた死体が載せられました。

 オルジン・ヘルマナ収容所では、少なくとも三万人にも及ぶ死者が出たと言われます。その死体は誰にも弔われず近くの谷へと遺棄されました。これも戦争の性です。

 ノギマリア・ヘルツェルンは、ベーテンの英雄である、ワイリアナ・ヘルツェルンの次男でした。彼は父親の後を追ってベーテン軍へと入隊して、来る日も来る日も精進に励みました。もちろん、初めに彼を見た者の第一印象は、地方の英雄であるヘルツェルンに顔つきがそっくりだ、と言う身体的特徴を誰彼も言っていました。しかし、そんな環境にも慢心することなく努力を続けた彼は次第に、英雄の息子、という評価ではなく、隊一番の努力家、という、彼自身の評価へと変わりました。そして彼は若干三四歳で隊長に昇進するという、異例の大躍進を遂げたのです。

 英雄であり、実の父親でもあるワイリアナの死は、彼に大きな衝撃を与えました。そして彼も他のベーテン軍人と同じような復讐心に燃えて、最前線で隊を指揮しました。

 彼の父親譲りの指揮により、ベーテン軍は次々と戦闘に勝利し、そして首都ヘルマナでの戦闘に及んだのです。

 

 首都の制圧まで間もなくだった三月上旬、彼は市街地を探索中に、瓦礫の中から出てきた少年兵に胸部を刺され、一週間後に軍病院で死亡しました。

 彼の死によって、ヘルマナ攻防戦は次第に、ベーテン軍有利の状態から両者均衡の状態へと移行し、戦闘は泥沼化しました。女性の強姦、捕虜への拷問、住民の虐殺。多くの戦争犯罪も生まれました。これも戦争の性です。

 ワーナル・カゲミルは、軍部に所属したリーナ人です。軍部でも有数の狙撃主でしたが、民族共闘の決裂によってエリーナ地方へと戻り、エリーナ軍の第一線の狙撃部隊の指揮を一任されました。

彼は生まれながらの差別主義者であり、その影響によりベーテン地方にある軍部では性格も災いして軍部の指揮を任されることはありませんでしたが、今回の内戦において彼の性格は、まさにエリーナ軍が求めていたものでした。

撤退を続けていたエリーナ軍でしたが、ベーテン軍部の心の支えがレジスタンスによって刺殺されたことによって戦況は一転膠着状態になりました。戦闘団員の数で大きく劣っていたエリーナ軍でしたが、ワーナルの思想と技術によって士気を一気に上げた兵士達は次々と奇襲を仕掛け、いよいよ首都奪還の一歩手前まで戦線は推移しました。

ワーナルも自ら戦闘に参加し、ベーテン軍を次々と狙撃しました。時には瀕死のベーテン軍人を連れて帰り、心の済むまで拷問した上で、狙撃の練習と称して次々と捕虜を殺害しました。

 

そんな彼も遂に、ベーテン軍の捕虜となりました。彼は捕虜となった翌日、両手を切断され、直視するのを躊躇うほどの姿で、石畳の上で冷たくなっていました。彼の死に、多くのベーテン人は歓喜しました。これも戦争の性です。

カーパー・ヘリシマンは、この戦争の取材に来た米国のジャーナリストでした。彼は米国でも屈指の大学を次席で卒業して、数多くの周囲の人達から期待と羨望の眼差しで見られていました。大学卒業後、彼はアメリカ国軍に入隊して、多くの戦争を裏で支えてきました。

しかし、やがて戦争の事実が世論に伝えられないことに辟易した彼は軍隊を離れ、フリージャーナリストとして、多くの戦争の事実を世に伝えてきました。大学で専攻した語学を生かして、彼はどの国でも市民に歓迎され、組織に重宝されました。彼は、多くの人々を救いました。

ウィダーナ内戦でも彼は多くの戦争写真を、世界中へと発信しました。キドリア虐殺で強姦された上に虐殺された双子の少女の写真は、世界中から反響があがりました。

 ヘルマナ攻防戦が世界中から注目されていた頃、郊外のヘルマ・エリーナ地方でも戦闘がありました。周囲の反対を押し切った彼は、そこでも数多くの写真を撮りました。

 

 戦闘も佳境を迎えたある日、彼がいつものように写真を撮っていると、後ろから話しかけられました。振り向いた彼が最期に捉えたのは、こちらに向けられた銃口でした。

 ヘルマ・エリーナの戦いは、彼の死が伝えられて初めて注目を浴びた戦闘でした。それまで、その地で死んだ人は見向きもされなかったのです。これも戦争の性です。

 喜多川雄平は、エリーナに居住していた日本人でした。学生時代、留学していたエリーナ地方東部の町、ロミナに心奪われた彼は大学卒業後、周囲の反対を押し切って一人ロミナの郊外にある国際文化センターへと就職しました。言語の違いや文化の違いで困惑することはありましたが、雄平はその差異が生じる理由を外国人の目から判断して、いつも同僚達に新鮮な意見を与えていました。

 内戦勃発後、彼は幾度となく家族から帰国するようにと連絡を受けていました。渡航時にも家族と大喧嘩した彼はその反発心から、自分はロミナに骨を埋めるとまで家族に宣言しました。雄平は、自分と戦争は関係ない出来事だと思っていました。しかし、次第に戦闘はロミナ近隣にまで及び、遂に砲撃はロミナの街まで襲うようになりました。砲撃によって死亡した人の死体を見て初めて、自らの死を雄平は意識しました。彼はようやく帰国を決意しました。

 

 彼が帰国するために乗車した、空港へと向かうバスは、とある青年の自爆テロによって粉微塵になりました。彼は身に着けていた帽子と一部の骨だけになって、親の元へと帰ってきました。

 内戦では、戦争に関係のない三〇〇人以上もの外国人が巻き添えを被って、無言での帰国を余儀なくされました。これも戦争の性です。

 ミリマー・コーナは、ベーテン地方東部、トーツェンで一人農家を営んでいる、心優しい老人でした。彼は暇さえあれば近くの小屋で地域の子供達に様々な知識を教えて、近所の人達にも親しまれていました。大人になってからも教えた子供達は毎年彼の元を訪ねてきて、青年達に生きる知恵を授けてきました。

 内戦以降、物資不足の為に利用していたバスが休止したので、彼は一人孤独に農作物を耕していました。何日かに一度、子供が訪ねてきてはいましたが、戦況の悪化によりその頻度も時が経つに連れて少なくなってきました。

ある日、教え子の一人が西部戦線で戦死したという話を聞いて、彼は酷く落ち込みました。悲しみを繰り返さない為にもそのまま他人との関わりを絶とうかと思うほどまで絶望した彼ですが、ずっと自分達の先生であってほしい、という死んだ教え子の言葉を思い出して、彼はこれからも子供達を正しい方向に導いていこうと心に決めました。

 

ある夜、突然の轟音に驚いた彼は、屋外に出たところを機銃掃射で蜂の巣にされました。彼の亡骸はそのまま崩落炎上した家屋に巻き込まれ、骨しか残りませんでした。

トーツェン航空戦は、長い間表沙汰にはされなかった、隣国ワーランド公国とベーテン軍の有事です。この戦闘は極秘裏にされました。これも戦争の性です。

あのカウントダウンから、一年が経とうとしています。今日も国内のどこかで、名前も知らないような人達が大勢死んでいます。その人生を誰かに語り継がれる幸運な人もいれば、誰にもその死を認知されることなく人生を終えた人もいます。中には知人全員が死んだことによって、その人生ですらこの世から忘れ去られるような人もいます。

私の知人にも、一つの人生がありました。ずっと昔から一緒だった彼女は、ベーテン地方政府公認ジャーナリストでした。学生時代から勉学に明け暮れ、類稀な幸運を持つ彼女は、どこにでもいる、しかし、決して代わりのいない女性でした。

彼女は、いつだって戦争の最前線にいました。そして、情報世界における最前線そのものでした。自分達に不利な情報でさえも、発信こそ許されませんでしたが、しかし、遺棄することはありませんでした。

「亡くなった一人一人が、その世界の主人公だから」

 

 私の姉、リーシャ・カイツェルンは、その言葉を遺し、砲撃によって巻き込まれた家の下敷きになりました。

 

 亡命した国で、私は呑気にも音楽を聴きながら、朝食を食べています。彼女達の分まで生きることは、私には出来ません。だから、私は、彼女達を生かすのです。

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