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孤独緩和へのお礼

​Author : Saito Rei

「優太、おっす!」

 張りのある声で呼びかけられ、目を通していた参考書から顔を上げた。宮本啓介が目の前に立っている。

「朝なに食べた?」

 啓介は優太が広げている参考書を一瞥しながら聞いてきた。

「何って、パンだけど」

「そんだけ?」

「うん」

 もう一度参考書を覗き込んだあと、啓介は目を大きく見開いた。

「そんなんで勉強ばっかしてたら、ガリガリの骨人間になっちまうぞ! 俺みたいにもっと動かないと!」

 そう言った啓介はいきなり準備運動のようなものをし始めた。しかし腕を大きく振りすぎて壁に勢いよく激突し、だおおおお! と派手に痛がる。

 朝から騒がしい人間、それが宮本啓介である。成績は優太に及ばないものの中の上に位置し、もともと動くことが好きであるからか運動もできる。加えてクラスのムードメーカーで、その愛嬌のある性格は教師も憎めないようだ。たまにいきすぎてトラブルを起こすこともあるが、それも含めて彼はいわゆる人気者であった。

 啓介は、いてーと言いながら壁にぶつけた手をぶらぶらしている。まあいつものことなので優太は特に心配もしなかった。今日も相変わらずだなと気楽に考えていると、案のじょう啓介は何事もなかったように自分の席に歩いていった。優太は再び参考書に目を通す。

 成績はクラスや学年でもトップクラス。だがそれだけが取り柄で、運動もできず、友達もほぼいない。性格は暗くかつ地味で、普段からあまり喋らない。石川優太の存在は、クラスに必ず一人はいる、いわゆる陰気な男子生徒の代表のようなものだった。

だが、そんな優太は啓介に救われていた。グループを作るときなども優太が一人でいると仲間に入れてくれるし、少なくとも一日に一度は必ず喋りかけてくれる。そんなことをしてくれるのは啓介だけだった。

 前に一度、彼に聞いてみたことがある。他の人は誰も話しかけてくれないのに、なぜ君は自分に話しかけてくれるのかと。そしたら啓介はこう答えた。

『だって優太、なんか他のやつと違うもん』

 他のやつと違う……。いい意味でも、悪い意味でも捉えることができると思ったが、きっと彼はそれをいいことだと考えているのだろう。そして彼は、少なからず優太に興味を抱いているのだろう。そうでなければ親しげに話しかけてくるはずがない。

それにしても。

他のやつと違う__か。

集団行動を重んじ、常に群れを作ろうとする日本人の中でも、優太は自分自身について特に協調性が欠けていると思っていた。グループ活動ではまず自分から意見を言わないし、何かの行事でクラス写真を撮る際も、面倒だからという理由で先に帰っていた。そんな無愛想な態度をとる優太と友達になりたいというものはおらず、今までほとんど一人ぼっちで孤独な日々を過ごしてきた。あえて友達といえる人間を挙げるとすれば、幼い頃に遊んだ幼馴染の存在くらいか。しかし最近はそんな友人たちとも滅多に会うことはない。

孤独な日々は別に嫌ではなかった。一人でいれば自分が好きなときに行動できるし、だれかに合わせて自分の欲求が満たせないということもない。だが、それには常に寂しさが伴った。同時に何かをするという活発なエネルギー、すなわち気力も奪われていった。勉強はいまの成績維持のためにも頑張っていたが、そのほかの大して重要でもないことは、一部を除いて適当に済ましていた。まあそれでも、もともと真面目な性格が功してか、他人が判断していかにも手抜きという仕上がりにはならないのだけど。

こんな自分のどこがいいのかさっぱりわからないのに、啓介は優太に興味を抱いている。最初はただ単にお人好しな性格な男子なのだと思っていたが、理由を聞いてからは考えが変わった。

でも、なんとなく嬉しかった。干からびた大地に水が注がれたような感覚に近い。生き返った、とは少し言い過ぎだろうか。でも自分に興味を示してくれる人がいるだけで何かが変わるという経験は新鮮で、現に優太は勉強以外のことにも以前より精を出して取り組むようになっていた。

 だが、よくよく考えてみると、確かに啓介の言っていることは当たっているのかもしれない。優太は勉強もできたが、それ以外にも得意なことがあった。

 それは電子工作である。

 小学四年の頃に性格の不一致から両親が離婚し、大学教授の父と暮らすことになった優太は、父からいろいろな手ほどきを受けた。それが電子工作だったのである。それがなかなか楽しくてはまってしまい、いまも相変わらず暇があれば工作をする日々だ。

 小学五年の頃には県が主催する夏休みの電子工作コンクールに出品したこともある。提出した作品は二足歩行をする小さなロボットだった。そのころは二足歩行のロボットはまだ珍しく、優太の作品は最優秀賞を受賞した。そのようなこともあり、いっそう優太は電子工作に興味を持ったのであった。

 

 

翌朝、珍しく啓介が話しかけてこなかった。なんとなく元気がないようにも見える。試しに簡単な話題を振ってみても、どこか上の空で空返事をするだけだった。

 何かあったのか……?

 色々考えてみたが、全ての事柄に可能性があり、きりがないので考えるのをやめた。とりあえず様子を見ることにする。

 四限は総合的な学習の時間だった。持ち物ははさみ。三限が終わった後トイレに行き、教室に戻ってから机の上にはさみと筆箱を出して授業の開始を待った。すると啓介が声をかけてきた。

「ゆうたー、はさみ持ってねえ?」

 どうやらはさみを忘れたようだ。

「持ってるけど、一つしかない」

「貸してくれ!」

 啓介はそう叫ぶと、いきなり優太のはさみを奪った。その唐突な行動には驚いたが、優太はあえて冷静に返した。

「何かあったの? なんか啓介、今日変だよ」

 啓介は俯き加減でしばらく黙っていた。何かを考えているのだろうか。優太が啓介の顔をじっと見つめていると、ぼそっと曖昧な発音で、

「別に。なんでもねえよ」

 と啓介が呟いたのが微かに聞こえた。

 啓介は優太の机の上にはさみを置き、その場を離れていった。自分の席の方に戻る途中に、くそっ! と机の脚を蹴る姿は、怒りとともに微かな哀しみを滲ませているように見えた。

 

 

 塾の帰り道、優太は一匹の犬を見つけた。見覚えがある、というより忘れもしない犬だ。啓介が飼っている柴犬。名前はよしき。

「どうしてこんなところに?」

 優太はよしきの頭を撫でながら呟いた。よしきも今日の啓介と同じように元気がない。

どうも今日は変な日だな。優太はそんなことをぼんやりと頭の中で考えた。

この日は夜の十一時を過ぎていたため、優太はとりあえずよしきを自分の家に連れて帰ることに決めた。

犬のことは明日学校で啓介に伝えればいいだろう。

 

 

 翌日学校へ行くと、啓介はまさかの欠席だった。これもまた珍しいことだなと思いながらも、優太はなんとなくその原因がよしきにあるのではないかと思った。

 啓介はよしきを溺愛していた。高一の時も優太と啓介は同じクラスで、その時に聞いた話だが、啓介には弟がいたそうだ。とても仲が良く、近所でも仲のいい兄弟として有名だった。しかし啓介が中三の時に弟は交通事故で亡くなってしまった。いつも明るい啓介がそんな過去を持っていたとは全く想像をしておらず、その話を聞いたとき、優太は驚きを隠せなかった。

 啓介のあの明るさは、寂しさの裏返しなのかもしれないと、いつの日か考えたことがある。両親の離婚を経験した優太も、自分の肉親がどこか遠くに消えてしまう哀しみは身に染みて感じていた。優太の母親はまだ生きているから会おうと思えば会えるが、啓介はもう自分の弟に会うことは絶対にできない。

 啓介の方が自分なんかより何倍も辛いはずだ。それなのにどうしていつもそんなに明るく振る舞っていられるのか、優太には不思議だった。

『だって、人生楽しく生きたいじゃん。ずっと落ち込んでても、しょうがないし』

 優太の疑問に対して、啓介はいつもの輝かしい笑顔で__それでいてどこか寂しげな笑顔で__そう答えた。そういう啓介は立派だと、口には出さないものの優太は心の中で強く思った。どんなに辛いことがあっても、常に笑顔を絶やさず、自分の人生を生きていく。自分にはとても難しいことだろう。

 それでも、時々ぼんやりとしている啓介の姿を見ることもあった。その時に彼がどんな表情をしているのかをよく見たことはないが、その姿を優太は自分と重ねてしまうことが多々あった。いつも一人でいる自分。ほとんど誰とも喋らない自分。もちろん、啓介の場合は気がつけばすぐに他のだれかとお喋りをしているのだが。

 自分の弟が他界したこともあってか、啓介は最近犬が欲しいと言い出した。弟を失った寂しさを紛らわせるためなのかは、はっきりと彼の口から聞いたわけではなかったので分からなかったが、とにかく犬が欲しいのだと。

 そして飼い始めた犬が柴犬のよしきだった。啓介はよしきをとても可愛がっていたし、飼い犬に自分の弟の名前をつけるぐらいだから、やはり自分の背負った哀しみを癒すために犬を飼い始めたのだと、優太はそのとき確信した。

『やっぱり、よしきがいた方が楽しいな。それに寂しくないし……』

 啓介はそんなことを独り言のように呟いていたことがある。そのことからも、啓介は弟を失った寂しさを紛らわせるために、犬のよしきを迎え入れたのだということがわかった。

 そんなよしきの体調が思わしくなく、そして昨日、行方不明になった。ともなれば啓介は相当なショックを受けたはずだ。自分の弟のように可愛がっていた犬が突然いなくなったのだから。それに一度弟の死を経験していることもあり、啓介は今回のことに気が気でないのだろう。きっと今日の欠席はそのことが原因に違いない。

 優太は思った。

学校が終わったら、啓介に犬を返しに行こう。

 

 

 学校での一日が終わり、優太は一旦家に戻るとよしきを連れて啓介の家に向かった。ほどなくして少し古めかしい一軒家が見えてくる。その玄関の段差に啓介が座っていた。放心したような顔つきで遠くの方を見つめているその姿は、まるで生きる気力をなくした老人のように見えた。

 そのとき、啓介の姿を捉えたよしきが走りだした。啓介の方に向かってワンワンと吠えながら、啓介の家へと続く道路をかけていく。

 その声に気がついた啓介はハッと我に帰り、よしきを視界に捉えた。

「よしき!」

 よしきが嬉しそうに啓介の手の中に飛び込んだ。

「どこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ」

 啓介は先ほどの放心した顔つきとは打って変わって、溢れんばかりの笑顔を取り戻している。それを見ていつもの啓介に戻ったなと、優太はほっと安心した。

「昨日、僕のところに来たんだ」

 啓介がこちらを向く。

「あ、優太……」

「それでなんか元気がなかったから、勝手だとは思ったけど知り合いの獣医さんにみてもらったよ」

「それで、なんて?」

「ちょっと疲れが出たんじゃないかってね。別に対したことじゃない。薬を出してもらったから、それを飲ませて休養を取らせたらすぐに元気になった」

「そうか……。ありがとな」

 笑顔で啓介は礼を言った。それに対して優太は何も言葉を発さず、微笑で返した。

 

 

 啓介の犬。弟のような存在。しかしそれは本物の犬ではない。

 よしきは優太が作ったロボットだった。

 犬を欲しがっていた啓介のために優太が作ったものだ。表面の毛は本物と見分けがつかない素材を使用し、体内も機械仕掛けになっている。あまり重量がありすぎても不審がられるため、骨格の部分は超軽量かつ強度の高いアルミニウムを使用している。もちろん、餌を食べて消化し、便や尿として排出するという機能もちゃんと加えた。

そして昨日よしきが優太のもとに訪れたのは、消化機能に不具合が生じたからだった。機械に不具合が発生した場合は自動で優太のもとにやってくるという機能を、スマートフォンのGPSを利用して事前にプログラムしておいたのだ。だから獣医に見せたというのはもちろん嘘で、昨日は優太がよしきの修理をしたのであった。

 よしきを啓介に紹介したのも優太だった。知り合いが新しい犬の飼い主を探していると伝えると、啓介は快く犬を引き取ると言ってくれた。事前に啓介からどんな犬が欲しいのか聞いていたため、希望に沿った犬を紹介し、作ることは簡単だった。

 生まれたばかりの犬ではなく、ある程度育った柴犬という設定で、内蔵の電池は約七年間もつ仕様にした。製作にはかなり時間がかかる予定だったが、急ピッチで進めたためロボットのよしきは二週間ほどで完成した。

 仮にたくさんの嘘をつくことになっても、いつも世話になっている啓介のために何か力になれないかと思った。自分ができることは限られているが、だからこそ自分の得意な分野を活かしてできるこの方法を選んだのであった。

啓介の笑顔を見ていると、優太までもがなんだか嬉しくなってきた。ほとんど何の取り柄もない自分だけれど、人の役に立つことはできるのだ。そして、啓介と一緒なら、自分も少しずつ変わっていくことができるのかもしれない。

ありがとう、と言わなければならないのは僕の方だ。

いつも君から勇気をもらい、孤独から救ってもらっているのだから。

 優太は啓介とよしきが戯れる姿を、いつまでも優しい表情で見つめていた。

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