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別れ、そして始まる

​Author: Saito Rei

                      *

 

 未来の自分に手紙を書くなんて、なんかの歌の歌詞に出てくるか、小説の中の出来事のように思っていたけれど、実際に自分が体験してみることになるなんて思ってもみなかった。

 なぜそんなことになったのかといえば、兄がいなくなり、両親の不和が原因で僕が行き詰まったからだ。こんな方法で解決できるなんて思わなかったけれど、他に方法が思いつかなかった僕は未来の自分に助けを求めることにした。

 A4の真っ白な紙に、シャーペンを向ける。考え出したら膨大な時間を無駄にしてしまいそうな気がして、なんでもいいからとにかく書いてみようと決心した。

 

 

 未来の自分へ

 

 未来の僕は、いま何をしているの。手紙なんてあまり書いたことがないから、文章が下手かもしれないけど、それなりに一生懸命書こうと思う。

 ふと気づけば僕はもう高校一年生です。でも、今の僕はとても大きな絶望を抱えています。それには二つの理由があるので今から書こうと思います。

 一つ目は兄がいなくなったこと。その理由は今でも僕にはわかりません。僕が中学二年の頃に兄は姿を消しました。警察に捜索願いも出したけど、結局見つかりませんでした。それに、僕は兄のことが嫌いなのか、好きなのかよくわかりません。きっとどっちもなんだと思います。兄はずっと昔は僕とすごく仲が良くて、よく一緒に公園で鬼ごっこをしたり、家で映画を見たりして過ごしました。でもいつの頃からか、(僕が小六ぐらいだったと思うけど、正確な時期は覚えてない)兄は僕をいじめ出したのです。最初は僕のことを無視したり、物を隠したりしてきて、僕は冗談でやっているとばかり思っていたけれど、僕が兄に甘えても兄は何にも言わないから、次第に僕は兄に嫌われてしまったんじゃないかって思い始めたのです。でもだんだんそれもエスカレートしていき、ついには僕に暴力を振るうようになりました。それだけじゃなく、家の中で暴れるようにもなったのです。ふらりとリビングに来たかと思えば、突然理解できない叫び声をあげて、いろんなものを投げてくるのです。僕と母じゃまるで歯が立たないので、父がなんとかそれを止めていました。

 暴力を振るわれた時に僕は泣きながら何回も謝りました。そして理由を何回も尋ねました。けれど兄は何も教えてはくれませんでした。ただ一つ思い浮かぶのは、兄は勉強があまりできなくて悩んでいたんじゃないかということです。まだ兄がおかしくなる前に、家族みんなでご飯を食べた時にそう漏らしていたからです。でもそれが僕をいじめたりする理由なのかは兄の口から直接聞いたわけじゃないので、本当のところは分からずじまいです。それから、最初にも書いた通り、兄は僕が中二の時に突然いなくなりました。僕は歯がゆさと、空虚感を心に残したまま、今日まで生きることになります。

 二つ目の理由は、両親の仲が悪くなったことです。単純に仲が悪くなったわけじゃありません。もう二人は離婚を考えているようです。二人はそのことを僕には秘密にしているみたいだけど、僕はもうそれに気づいてしまいました。なぜならこの間、シャープペンの芯を探していてリビングにある机の引き出しを開けたら、離婚の書類を見つけてしまったからです。僕は慌てて引き出しを閉めました。見てはいけないものを見てしまった、と思いました。でもどうしたらいいかなんて僕には全然わかりませんでした。

 二人の仲がこんな風になっていたことなんて僕は全然知らなくて、そんな僕はなんてバカなんだろうと自分を責めたものです。きっと自分の息子にはそういう雰囲気を察知されないように演技をしていたのか、それともうちの父と母はそんなに喋る方じゃないので、気づかなかったのかもしれません。でもよく考えれば、なんとなく思い当たることがあります。これは父に関してのことですが、最近父の帰りがやけに遅いのです。母は特別何も言いませんが、もしかしたら父は浮気をしているんじゃないかと思った母が離婚を考え出した、というようにも十分考えられます。でもそんなことはどっちでもいいと今は思っています。あの書類を見てしまった以上、このままでは僕の家族が二つに割れてしまいます。未来の僕、どうか助けてください。タメ口の文と、ですます調の文が混ざって少し変な感じになったけど許してください。いなくなってしまった兄のこともどうかよろしくお願いします。

                                           

                                           高校一年の僕より

 

 

 こんな感じでいいのだろうか。まあ書いてしまったところで訂正する気も起きないので、僕はこれを公園の大きな木の下に埋めに行くことにした。手紙を折り曲げて少し小さくしてから、ジャムの空き瓶に入れて蓋をした。これで湿気を完全に防ぎきれるかどうかは疑問だけど、特に気にしないことにする。

 昔、兄とよく遊んだ公園は、今日は誰もいなかった。そして名前の知らない大きな木は、いつもと変わらずに悠然と佇んでいた。新緑の緑の葉がたくさん繁っていて、今の僕の気持ちなんてこの大きな自然の生命に比べたらなんともないんだろうな、なんて意味不明なことを考えてみたりする。僕ってけっこう詩人かも。まあそんなことはどうでもいいか。

 ここに来るとついつい昔のことを思い出しがちだ。なぜならこの木には兄との思い出があるからで、その思い出というのは、暑い夏の日に、遊び疲れた後に兄がアイスを買ってくれ、この木の下の日陰で涼みながら食べたことだ。素直に兄の優しさが身にしみた。その時のことをふと思い出すと胸に込み上げるものがあるけど、なんとか胸の奥に封印しようと思い、それを飲み込む。もう兄はいないのだから、考えてもしょうがない。

 

 

 手紙を土の中に埋めて一ヶ月ぐらいがたった頃だろうか。僕の前にある男が現れた。その男はひょろりとしているというか、なんか兄に体格が似ているなって思ったけど、顔が全然違った。髪型も違う。まあこんなところで兄に出会えることなんて初めから期待していたわけじゃないけど。

 出会った場所は図書館だった。僕は勉強をするときは、家じゃあまり集中できないから図書館を利用する。さあ今日もやるか、と数学の問題集を開いた時にいきなり肩を叩かれて、よおっ! って言われた。僕はめちゃくちゃびっくりして、心臓が止まるかと思った。不意打ちには慣れていないのだ。そんな僕を見て男はゲラゲラと笑っていた。なんだこいつ、って正直思ったけど、男がなんか話そうぜって言ってきたので、今から勉強しようかと思ったのに、と内心少し腹を立てながらも、外のベンチで適当にお喋りしていたら、案外悪い人でもないかなって思えてきた。男は名前も年齢も明かしてはくれなかったけど、それは僕も同じだったからおあいこだなってことになった。もしかしたら未来の僕なんじゃないかと思ったりもした。でもやっぱり、なんとなく将来僕がいま目の前にいる男のようになる感じがしなくて、そんなわけないよな~って思い直した。

 向こうから名前を聞いてくることはなかったから、僕は自分の名前は明かさなかった。ただ年齢は雰囲気や見た感じから僕よりは年上じゃないかなって思った。もしかしたら二十歳を超えてるかも。まあどちらにせよ、休憩時にはいいお喋り相手になってくれた。

 それからも男とは休日に図書館でよく会った。彼もよくここを利用すると言っていた。僕はその度にお喋りに付き合わされ、内心は嬉しかったけど、勉強が少し疎かになってしまいそうになった。でもまあ、たまにはいいか、というぐらいに気楽に考えることにし、そのひと時を楽しんでみることに決めた。

 初対面は誰でも話しづらいとばかり思っていたのに、男はそんなことはお構いなしに僕に話しかけてきた。僕も次第に彼に慣れていき、普通に話ができるようになっていった。それは徐々に彼との間の絆が深まりつつある証拠でもあった。

 男との関係が友達に近づき始めたころ、僕は両親の離婚についての話をした。彼はやけにそのことについて熱心に聞いてきて、しまいには、俺が解決したる! と言い始めた。いくら仲が良くても他人が相手の家族領域に入ってできることなんてたかが知れていると思い、僕が、無理だよ、と言うと、大丈夫だって! と全く僕を安心させることのない言葉を吐いた。大丈夫なわけがない。赤の他人が解決できる問題じゃないんだ。何度もそう言い聞かせたけど、彼は言うことを聞かなかった。なぜそこまでこだわるのかと理由を聞いたら、彼は痛いところを突かれたという顔をしてから、俺たち友達だろ! と、全くもって意味不明な理由をつけた。普通の友達はこんなことをするだろうか。少なくとも僕の今いる友達の中でここまで深く関わってくる人間は彼以外に一人もいない。

 そして、僕の想像の通り、両親の和解は困難を極めた。男のやり方といったら信じられないもので、まず、アポもなしに突然僕の家に訪れてきたかと思えば、僕に父母に向かって、離婚すんなっ! と叫んだのだ。いきなりなんてことを言うんだ、と内心ハラハラしたけど、両親は特別反応を示さなかった。いや、示せなかったのかも知れない。いきなり見知らぬ男からそんなことを言われれば、その理由も頷ける。男が叫んだ時に、その場の空気が凍りつくのを僕は感じていた。気まずい雰囲気が漂う中、僕は男の手を引いて彼を外に連れ出した。

 一人で熱くなるのはいいけど、もうちょっと場をわきまえたら? と、僕が男に少しきつめに忠告すると、男はしゅんとした表情になり、そこで思わぬ真実を語り始めた。

 

 

                      **

 

 

 一人で生きていこうと決めたあの日から、随分と経ったように思う。父と母、そして弟を残して俺は家族との別れを告げた。不安とかはあったかも知れないけれど、それよりもその時は自分の存在が嫌で嫌で仕方がなく、そして罪悪感に苛まれていた。なんの罪悪感にかって? それは弟をいじめたことや、家庭で暴れたことに対してだ。

 まだ小さい頃はよかった。せがむ弟と毎日のように遊んでは思い出を刻んでいく日々。もう遠い過去だ。そして年齢が上がるにつれて、多分思春期ということも関係していたに違いないけれど、俺はいろいろなことに悩むようになっていった。一番の悩みは勉強ができないことだった。俺は小さい頃から不器用で、何をしようにも失敗ばかりしていた。勉強なんて学年が上がるたびに難しくなっていくのが当たり前だから、俺はすぐにつまずいて、気づいた時にはクラスのみんなからもおいてきぼりにされていた。このままじゃまずいと思って自分で必死になってなんとかしようと思ったけど、結局なんともならなかった。反抗期にも突入していたせいか、両親には打ち明けられなかったし、先生たちとも距離があった。俺は一人で悩みを抱えたまま、日々を過ごしていた。だけど、そうしているとやっぱりモヤモヤして、いてもたってもいられなくなって、家で暴れたり、弟をいじめるようになった。多分弟の方が勉強もよくできたから、少し妬んでたところもあったんだと思う。だから弟をいじめてしまった。そしてその後には必ず罪悪感を感じ、またやってしまった、という後悔の念を覚えるんだ。自分の中の苦しみを暴力という形で吐き出すのは、どちらにしてもさらに苦しみを増やすことになる。そうわかっていたのに自分を抑えられなかった。

 全てを断ち切ってからは、アルバイトをしてなんとか生活をしてきた。学校にも行かなくなったから、時間はたくさんあったし、やっぱりお金がないと生きていけない。最初は少し家から離れた橋の下とかで野宿を繰り返していたけれど、ある日、不動産屋の前を通りかかった時に家賃八千円のぼろアパートを見つけ、そこに住むことにした。そこでの生活といったら散々なものだった。風呂やトイレはもちろん共同だし、部屋の中はめちゃくちゃ狭い。おまけに空調設備も壊れていたから夏は暑いし、冬は寒かった。とにかく最悪な生活だった。

 だけどある日、そんな俺にも幸運が舞い込んだ。たまたま期待せずに買った宝くじが当たったのだ。賞金は五百万円。本当に特別なきっかけもなく、ただただ派手に飾られた宝くじの看板に惹かれて買ったんだ。まさか自分が当たるなんてこれっぽっちも思っていなかったから、俺はそれを聞いた時、宇宙に飛んでいってしまいそうなぐらいの衝撃を受けた。もう嬉しくて嬉しくてたまらなかった。実際に実物の五百万円を見ると、映画やドラマでしか見たことがない札束の厚みにさらに興奮した。とりあえず一部を銀行に貯金し、残りを使って少し高めのマンションを契約した。

 そして俺にはもう一つしてみたいことがあった。それは整形だ。俺は今までの罪悪感とか苦しみとか全部を含めて忘れたいと思っていた。つまり、新しい自分に生まれ変わりたかったんだ。だから顔を変えて自分を消滅させることで、新たな命を得ようとした。変わるのは顔だけで根本的には何も変わらないことはわかっていた。自分の性格も、不器用さも、変えることはできるかもしれないけど、自分には難しい。でも、だからこそ見た目だけでも変えたいと思ったんだ。ただ、やっぱりそれにはかなりの費用がかかるから、宝くじが当たるまでは夢のまた夢で、絶対に叶うことはないと思っていた。でもそれがようやく叶う時がきたんだ。俺は有名な専門医を探して、海外のとある有名スターのような顔にしてくれと頼んだ。それなりに高くついたが、赤字にはならなかったのでよかったと思っている。仕事もアルバイトから進級し、正社員になることができた。俺の人生は今になってようやく右肩上がりになり始めていた。

 そんな時、俺は弟が書いた手紙を発見してしまった。昔遊んだ公園の近くに用があり、久しぶりに寄ってみようと思ったんだ。懐かしいな、と思いながら大きな木の下まで行って、地面を見ると、そこだけ土の色が変わっていて、おやって思った。誰かが何かを埋めたのかもしれない。そう思った俺は、素手で土を掘り返してみた。すると、透明な何かの空き瓶が出て来て、中に手紙が入っていた。読んでいいものかと迷ったけど、好奇心に逆らえずに気づいた時には目が文面を追っていた。

 手紙には名前が書かれていたわけではなかったけれど、書かれていた内容からして、俺たちのことだというのはすぐにわかった。兄が家出をした時は自分が中二のときだった、というのもぴったり俺たちの状況と合致してたからな。この手紙を書いたのが俺の弟だということはまだ子供っぽさが残っている文章の書き方から簡単に推測できた。そこで両親が離婚しそうだということを知った俺は、遠い昔に切り離した家族のことをもう一度思い返していた。自分の中では断ち切ったはずだったのに、やっぱりこうして考えてしまう。関係ないことだ、と割り切ろうとしても、やっぱり心配だった。そしてこうなったのは俺のせいでもあると、また罪悪感を感じてしまう。俺が家族に迷惑をかけていなければこんなことにはならなかったんじゃないか、と。でも、今の俺ならこの問題もなんとかできそうな気がした。宝くじが当たったように、最近は運がついているからだ。俺は昔の罪滅ぼしの意味も込めて、両親をなんとか仲直りさせることを考えた。それにはまず、弟と接触する必要があると考えた。いきなり俺があんたらの息子です、と言って両親の前に現れるわけにもいかないし、というかそんなことをする勇気もなかった。でも弟にならまだ抵抗感は薄い。だからまずは弟に会おうと思ったんだ。そして時が来るまでは自分の正体を明かしたくないとも思った。それは、単純に恥ずかしかったからだ。今さら何? と思われるのも怖かった。そういうことで俺は自分の正体を隠して弟に近づいた。あいつが休日に図書館で勉強していることは知っていたから、俺は土日にそこに行って、弟との接触を図った。接触の回数が増えていくにつれて、俺と弟は仲良くなっていった。当たり前だよな。俺たちは顔こそ違えど実の兄弟なんだし、昔は仲が良かったんだから。そしてある時、弟から両親の不和を聞き出した俺は、問題を解決してやる、と弟に伝えた。かなり反対されたが、ここは強行突破だった。なんとかして家族をもと通りにさせたいという気持ちが俺の中で燃えていたからだ。でも、もし仲直りできたとしたら、そのあとはどうすればいいんだろう? 自分の正体を明かして、また家族と一緒に暮らすことにするのか、それとも今まで通りの生活を歩むのか。まだはっきりとは言えないが、俺は後者を選択するに違いない。たとえ一緒に暮らすことになったとしても、顔を変えてしまったから向こうも受け入れ難いかもしれないし、それに俺にはもう家族の一員としての資格がないと思っているからだ。

 まあそれはさておき、俺は問題の解決に乗り出した。早く解決したくて、アポも取らずに自分の家に押しかけてしまった。その時は極度の緊張で、いきなり両親に向かって、離婚すんな! と叫んでしまった。やっぱり俺って不器用だよな。そのとき家の外に連れ出されて弟から受けた忠告を聞きながらそう思った。

 そして、俺はその時に自分の正体を明かそうと思った。やはり友達という肩書きでは両親を仲直りさせるのは難しいと思ったからだ。やっぱり家族はそういう領域だ。他人が踏み入ることはできない領域なんだ。

 俺がお前の兄だと言った時、弟は目を丸くした。そして俺に疑いの目を向けた。まあ、それも当然の反応と言える。顔も全然違うし、今まで休日に過ごした男が実は自分の兄だったなんて、普通には起こらない出来事だ。俺は今までの経緯を全て話して聞かせ、昔の弟との思い出や家庭内暴力のことも色々と話した。そうしていくうちにようやく弟は俺を兄だと思うようになってくれた。まだ完全にではなかったかもしれないが。でもそれは大きな一歩だと俺は思っていた。

 もう一度俺と弟は家の中に戻り、さっきの不手際を詫びてから、弟にしたように俺は今までの経緯を両親に話して聞かせた。弟と同じように、二人はやはり困った顔をした。離婚をしないでくれとも改めて説得した。だが、その後に父の口から漏れたのは、帰ってくれ、という静かな一言だった。

 

 

                      *

 

 

 帰ってくれ、と父が言った。それを聞いた兄は、まだ何か言いたそうだったけど、ぐっとそれをこらえて、家から出ていった。家の中には僕と両親が残された。僕はその重い空気に耐えられなくなり、二階の自分の部屋に向かった。扉を開け、中に入る。自分の机の前にある椅子に腰掛け、ふーっと安堵とも落胆ともとれる息を吐いた。兄との再会を素直に喜んでいいのか僕にはわからなかった。散々迷惑をかけておいて、僕を傷つけておいて、何で今ごろ、という怒りの気持ちがないわけでもない。でも、やっぱり兄は兄だ。昔とそんなに変わらない。少し不器用なところも、何かに熱中しだしたら止まらないような性格も。でも勉強には熱中できなかったんだっけ。

 机の上に、家族全員で撮った写真がある。遊園地に行った時に撮ったものだ。みんな、笑っていた。自然な、偽りのない笑顔だった。それから時が経ち、白いシーツに一点の黒い染みがついてから、それはどんどん広がっていった。もちろん時間はあらゆるものを変えていく。だけど、僕たちの変化はあまりにも哀しい。僕にとってはそういうものだった。

 不意に涙が出てきて、指で拭う。結局僕らがなんと言おうが、両親は自分たちで未来を決め、兄や僕も自分の人生を自分で決めて歩いていく。それぞれの意思が強ければ強いほど、人は孤独になり、そして繋がりも断ち切られていく。それがなぜかわからないけど、無性に哀しく感じる。

 幸せに生きたい。それは誰もがそう思っているだろう。だけど、それぞれの中にある幸せの形もどんどん変わっていく。ある時はこの人といるのが幸せと感じていても、時間が経つにつれて別の人を好きになる。そんなことは当たり前のことなのかもしれない。ただ、それが家族の繋がりを破壊するものなら、子どもはどうすればいい? 

 うちの両親は愛し合っていなかった。いや、正確には、昔は愛し合っていたけれど、今はもう愛していない。でもそんなの子どもの心を納得させる十分な理由にはならないと思う。自分たちは愛していない両親のもとに生まれた子。なんのために僕らは生まれてきたの? 人間なら、性的快感のためだけに、犠牲を生み出すこともある。瞬間の欲望という名の下に宿る命は、迷いを生み出し、傷つけられ、死んでいく。それはあまりにも哀しい。なんとかして幸せになりたい。だから、僕たちは生きていこうと思う。ここで死んでしまったら自分たちの存在意義は本当に消えてしまう。何のために生きるかなんて、抽象的すぎて答えが出るかどうかわからないけれど、生きていればいつかその答えを見つけられるかもしれない。

 そう信じて__。

 

 

                      **

 

 

 結局、俺たちの両親は離婚した。あれから一週間後に俺は弟から家に来るように言われ、二人からの離婚宣言を弟と聞いた。話によると、父は別の女と浮気し、母は別の男と不倫していたそうだ。驚くことにどちらも相手との間に子どもができてしまったそうで、これからは新しい家庭を築いていきたいらしい。それを聞いた俺たちがどう思ったのかは、聞かなくてもわかるだろう。

 また、俺たちも新しい道を選んだ。父か母、どちらにつくこともなく、二人で生きていくという道だ。俺はもう二十歳を超えていたし、一応安定した職にもついていたからそれが可能になったのだ。

 両親と別れる日に、俺は過去に家庭で暴れて迷惑をかけたことを謝った。もうこれで二人と会うのは最後かもしれないし、ちょうど良い機会だとも思ったからだ。そんな俺の姿を見て、父は深く頷き、母は少し涙ぐんでいた。

 そして__二人はそれぞれ小さな声で口にした。

 ごめんなさい、と。

 弟をマンションに連れてきてから、昔いじめたことを謝った。もういいよ。気にしてないから。弟はそう素っ気なく言って、顔を伏せた。弟の体が震えていた。鼻をすする音も、涙を拭う仕草も、見ているだけで自分がどれだけ弟を傷つけてきたのかが痛いほどよくわかった。そして、このやるせない気持ちも、きっと消えることはないのだろう。

 俺は弟を抱きしめて頭を撫でた。柔らかい髪質がとても心地よい。

 やっぱり、世の中そううまくいくようにはできていない。今回改めてそう思った。だけど、思い通りにならないこともたくさんある一方で、変えられることもないわけじゃない。実際に弟との関係は一応回復に向かっていると俺は思っているからだ。それだけでも大きな成長の証だと思いたい。

 だけど、両親の仲がもとに戻ることはなかった。ただ、それも長い目で見れば、人生の中の一点の出来事にすぎないのかもしれない。決して戻らない一点だけど、いつかそれを超えられると今は信じたい。

 過ぎた過去は消せないけれど、明日をつくっていくことは可能なんだ。

 そう心の中で強く思ったとき、暖かな日差しが部屋の中に差し込んだ。

 心の中の暗闇を照らす、優しい色だった。

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