from 19/04/17
世界五分前検証
小嶋
カーテンが開けられた。小さな研究室に光が満ちていく。
「うわっまぶしっ」
男はそう言いながらも窓の外を眺めることをやめなかった。
「直射日光は目に悪いよ。それよりこっちに来て手伝って」
声をかけたのは、部屋の奥でパソコンに向かう女だ。
素直に女のもとへ向かった男は、パソコンの画面を覗き込んで苦笑した。
「何が『手伝って』だよ。俺にはゲームをやってるようにしか見えないぞ」
「いや、難しい課題で詰まっちゃって。これなんだけどさ」
女はゲームのウィンドウを閉じ、代わりに文書ファイルを開いた。
「あ、おい。ゲーム、まだセーブしてないのに切っちゃっていいのか」
「大丈夫。あんなゲーム、意味ないし。それより、これ」
それは何かの講義で出された課題のようだった。
「『世界五分前仮説を証明せよ』?」
「そう。これに頭を悩ませてるわけ」
なんだそれ、と男は首を傾げる。
「簡単に言えば、神様が五分前にこの世界を作ったんじゃないかって話」
「ふーん。……ん? いや、そんなの証明もクソもあるか。俺には五分よりもっと前、物心ついたときからの記憶があるんだから。お前だって、五分以上前からゲームしてたろ?」
男はニヤニヤしながらそう言ったが、女の方は気にした様子もなく言い返した。
「『五分以上前から生きている』という記憶を持ったキミが五分前に作られていただけだとしたら? 私が五分以上前からゲームをしてたと思わせるように作られただけだとしたら?」
男は再び首を傾げる。
それでもなんとか女の言っていることは理解できたようで、一人でぶつぶつと呟きながら考えをまとめている。
「ちょっと待てよ……。神様によって五分より前の記憶を持った世界が作られたかもしれないなんて言われたら、反論のしようがない。でも、そもそも神様が五分前に世界を作ったという証拠も無いんじゃ……」
「うん。だから、詰まってるんだよ。でもね、私が悩んでるのはそこだけじゃない」
「というと?」
女は問題文の最後、『証明せよ』と書かれたところを指差した。
「『世界五分前仮説を証明せよ』……普通、こういう思考実験を出す場合、『証明、または反証せよ』と書くのが自然なんだよ。それがこの問題では、『証明せよ』だけ。つまりこの課題では、世界が五分前に作られたことを前提に話が進んでいるんだ」
男は思わずと言った様子で笑い出した。
「ハハハ、お前も性格が悪いやつだな。それはこの課題を出した教授が書き忘れただけだろ。揚げ足をとろうとすると教授に嫌われるぞ」
「それはない。だって、教授に直接確認したもの」
「……マジか」
度胸あるなお前、と男が関心半分呆れ半分の目を向けるも、女は特に気にした様子もなく、席を立って窓際に向かって歩いていく。
「まあ、お前がどこに頭を悩ませてるかは俺も理解した。俺が力になれそうもないこともな」
「……いや、そうでもないかも。キミに説明してるうちに考えがまとまってきた」
「マジ!? 天才か! どうやって証明するのか教えてくれ!」
男は興奮気味に、窓際で外を眺める女の方に詰め寄った。女は鬱陶しそうにしながらも、まんざらでもない様子で話し始めた。
「観測の理論だよ。シュレディンガーの猫は知ってるでしょ?」
「いや?」
女は頭を抱えつつ、それでも根気強く説明する。
「……箱の中に閉じ込められて誰にも観測できない状態の猫がいたとする。一定時間経つと、箱の中の装置が二分の一の確率で作動し、装置が作動したら絶対に猫は死んでしまう。その場合、一定時間経ったとしても誰かが箱の中の猫を観測して確認するまでは、箱の中の猫は生きているか死んでいるか決定しない、という思考実験だよ」
「え? 一定時間経った時点で、その猫が生きてるか死んでるかは決まってるだろ?」
「直感的にはそうなんだけどね。量子の世界では、猫の生死は箱の中を見てみるまでは分からない。だから、観測によって結果が左右されるとも言えるんだ」
男は今度こそ理解できなかったようで、自らのスマホで何やら検索して調べている。
「私は、この理論に課題を解くカギがあると思うんだ」
「どういうことだ?」
「つまり、『この世界が誰かによって観測された時に初めてこの世界が作られた』とも言えるんじゃないかというわけだよ」
男は怒ったような表情をした。
「つまり、神様が五分前にこの世界を観測したから、その時点から世界が始まったってことか? それは暴論だろ」
「うん。私もそう思う。でも思考実験の答えとしては、少し面白いと思わない?」
「……悪くはないかもな」
女が再び窓の外を見上げる。男もその視線の先を追った。
女は自分の視線の先に誰もいないことを理解しながらも、こう呟かずにはいられなかった。
「ねえ神様。あなたがこの物語を観測し始めて、何分経った?」