top of page

高遠小景

​作者 夢水薫

 

 みえる。この言葉に、あなたはどんな漢字をあてるだろうか?見える?視える?僕の場合は、そのどれも微妙に当てはまらない。

 高遠は、平成の大合併で伊那市に吸収された長野県の田舎町である。やたら山の中にあって冬はそこそこ寒い。ここで18年間を生きてきた高校3年生の僕は、何かにつけて高遠城址に行ってしまう。別に、重度の高遠史マニアな訳でもないし、高校では国公立の理系コース。ただ、家のすぐ近くにあって何となく昔から来ていた落ち着く場所だった。家に帰っても、どうせ一人だったし。

 それが「みえる」ようになったのは、中1の時だった。学校に入ったばかりのある春の日。自分んちの庭みたいな気軽さで城址公園をうろうろしていた時、僕はそれを「みた」んだ。その女の人は時代劇みたいな着物を着て、髪を結っていた。肌はアルプスの残雪のように真っ白だった。

 ぼんやりとその人に見とれていると、白い顔がくるりと向けられた。

 綺麗な人だなあ。雷に打たれるような衝撃ではなく、なんだかしみじみとした感動を僕は感じた。

 女の人は、大きな瞳でじっと僕を見た。不思議と威圧感はなかった。ずっと見ていてほしくなるような、心地のいい眼差しだった。

「そなた・・・・・・、私のことが見えるのか?」                                                         

「はい」

 古風な言葉づかいも、全然気にならなかった。むしろぴったりだった。

「・・・・・・恐ろしくは、無いのか?」

「悪い人には、見えませんし」

「ふふふ、面白いことを申すわ。そなた、名はなんと申す?」

「隼人です。桜木隼人」

「桜木、そうか。ここにはぴったりの名じゃ」

 鈴のように、静かに涼しげに笑うとその人は、絵島と名乗った。あの、絵島生島事件で高遠に遠流になった、絵島の幽霊だった。

 ところが、僕と絵島は特に違和感もなく意気投合した。友達になるのって、案外そうゆうものだったりするよね。月に一度か二度、僕と絵島は高遠城址公園で会った。絵島は高遠に流罪になった際の囲み屋敷での生活や、晩年には高遠城で侍女たちの躾指導をしていたことを話してくれた。

 でも、いつも話す割合はいつも僕が多かった。この時代で彼女の知らない物や事は山のように存在したから。

「その四角い小さな板は何なのだ?」

「スマホですよ。ほら、触ってみてください」

「うわっ!なんじゃ!う、動いた!」

 こんな具合にね。

 

 高校に進んでも、僕と絵島は度々、城址公園で会った。絵島は幽霊だからかもしれないけど、全く年を取らず見た目も変わらなかった。

 大学受験が近くなり、中々城址公園にも足が伸びなくなってきたころだ。ブレザーの上にすっかり着古したダッフルコートを着込んで、僕は絵島と話していた。

「隼人は、どんな大学に行きたいのだ?」

 大学受験の話は僕が昔前々からしていたので、この時の絵島は一端の塾講師並みに、大学のランクなどに詳しくなっていた。

「分からないです。一応地元の信州大学にしようかなぁって」

「なんともぼんやりとしておるの。隼人なら、江戸の東大なんぞが似合いそうなものじゃが・・・・・・」

 そう言ってから、絵島はふっと顔を陰らせた。

「隼人は、新五郎殿によく似て居るわ」

 そんな言葉が、椿のようにポトリと絵島の口から出てきた。

「新五郎って、もしかして生島新五郎?」

 日本史に疎い僕でも、絵島と話すようになってあの江戸時代の一大スキャンダルのことを少し調べていた。生島新五郎は、絵島が城下へ下って江戸城の門限に遅れた際に、絵島と密通していたのではないかという疑いを掛けられた歌舞伎役者だ。

 今まで、絵島の方からあの事件に関する話をしてくることは無かったから、僕はかなり戸惑った。それでも、こうやって話すということは何か思うところがあるのだろう。けれど、目の前の絵島には歌舞伎役者に体を許すような女性には、どうしても見えない。痩せた白い顔は弱弱しいような印象にも見えるけど、背筋は竹が入っているようにしゃんとしていて、言葉も丁寧でありながら歯切れがいい。

「私は、罰せられても仕方のないことをした。そのことは疑いようもないことじゃが、ただ申し訳ないのは大切な二人のお方を傷つけてしもうたことじゃ」

「それは、月光院と新五郎ですか?」

 絵島はこくりと頷いた。

「特に、隼人を見ていると特に新五郎殿おことを思い出すのじゃ。あのお方は私に夢を話してくだすった。歌舞伎で江戸の人たちの力になりたい。天下の活力になりたいと。本当に生き生きと、こんな年増の女に懸命に話してくれたのじゃ」

 絵島の顔にはもうさっきまでの影はなかった。まるで、初恋の真っただ中にいる少女のような表情になっている。

「じゃからな、隼人。夢を秘めてはならんぞ。秘めていては陽の光を浴びぬままになってしまうわ。草木が陽の光を浴びぬと育たぬのと同じことじゃ。さあ、私に話してみよ。そなたはどうなりたい?」」

「僕は・・・・・・」

 心の中に会ったものが、水面に浮かぶように喉元に上がってきた。まだだれにも話したことのない、平凡で面白くもないけど、僕にとっては大切な夢。

「僕は教師になりたい。そして、僕みたいに家族を亡くして苦しんでる子ども達を助けたい」

 そう、たったこれだけ。このためだけに僕は生きてこられた。家に帰っても一人だった僕はこうして城址公園に来ていた。そして、絵島に出会った。彼女に会わなければ、僕はどうなっていただろう。

「そうか、隼人ならできるぞ。いや、やらねばならぬぞ」

 そういうと、絵島の体が足下から光の粒になっていった。

「あ!絵島さん!」

「ようやっと、成仏できそうじゃ。この世で多くの者に迷惑をかけてしもうたからの。冥土の土産に、誰かの役に立ちたかったのじゃが、随分と時間がかかってしもうた」

 にっこりと微笑むその顔に、僕ははっとした。今まで静止画でしか見られなかったあの顔だったから。

「・・・・・・母さん」

 僕の命と未来との引き換えに、神様が奪っていったその人が僕の目の前で微笑んでいた。

「頑張りなさい。隼人」

 その言葉と共に、母さんは雪のように消えていった。今でも、あれが絵島だったのか母さんだったのか分からない。けれど、あれはきっと絵島や母さんの願いそのものだったのかもしれない。

後には、まだまだ固いけれど確かに力を蓄えている、桜の蕾と晴天の冬空があるばかりだった。

bottom of page